この物語を9年間待っていた――『君の名は。』感想

※ネタバレ感想です。


「君の名は。」予告2

新海誠の映画で好きなのは、実写以上に綺麗な背景作画もそうなのだけど、ただただひたすらに真っ直ぐな思いが作品全体に渡って貫かれるあたりで。特に彼の作風だと、クライマックスのシーンで主人公がその思いを畳み掛けるような台詞で吐露することが多く、あのシーンについつい泣かされてしまう。『言の葉の庭』で言えば、アパート階段での入野君のあの台詞はやっぱり見事だったし、『君の名は。』でも劇場で予告編を見て、神木くんが似たように台詞を畳み掛けるところで、ちょっとウルッと来てしまったりしていて。まぁとはいえ、そういう要素は必ずしもウケるものではなくて、これまでは賛否両論あったりもしたし、あくまでアニメファンの間で親しまれる映画という色が強かったと思う。

君の名は。』を見終えて不思議だったのは、そういった「新海」色は決して失われたわけではないのに、多くの人が楽しめるエンターテイメントとして昇華されていたことだった。ありがちな、「ああ、俺たちの○○が大衆受けする作品作るようになっちまったなぁ」という諦念は一切感じない。ポエミーなモノローグで幕を開けるし、なんとなく引っかかっている思い人(のような微かな記憶)を何年も引きずるし、一方で徐々に薄れゆく思いも描かれたり、決して器用な主人公ではなかったり、ちょっとしたSF要素や宇宙ネタを絡めてきたり、地理的だけではなく時間的な距離の隔たりも描かれたり、あああもう間違いなくこれは新海映画だ望んでいたのはこれだ!って要素がてんこ盛りに含まれていて、その面ではだいぶ満足できた。でも何かがいつもと違う。ちょっとした痛みと苦しさを抱えながら映画館を後にするのではなく、どこか高揚感と安堵を得られるような終わり方。

話の構造としてはセカイ系にも近くて、まぁ「セカイ」と言っても彼らが救うのは数百人規模の町一つではあるのだけど、大勢の人たちの命がかかった物語が、僕と私の関係性に収束されるという点ではセカイ系の類型と言ってよいのだと思う。ただ大きく異なるのは、これまでの新海作品が本当に「二人の関係性」のみに強くフォーカスすることが多かったのに対して、ここでは関係性が開かれているのだ。二人が行動した結果として、その先の未来で結婚するカップルが生まれ、前作の主人公の人生も変化し(彼女の登場にはとても興奮しました。しかもモブの一人ではなく、エンドロールできっちり名前を出すファンサービス。明確には描かれなかったが、彼女も生存したと信じたい)、その他多くの人も救われた。また三葉が町を救う過程にして見ても、彼女が星に願うほど嫌がっていた自らの境遇の端緒である、実父に対してまっすぐ向き合うという外向きなものだ。三葉の「こんな人生は嫌だ」という思いは、一度は奇跡によって遂げられる。でも二度目は自分の力だった。おそらくそこが、『ほしのこえ』や『秒速』で届ききらなかった思いへのアンサーだったように思う。自分が初めて見た新海作品は9年前の『秒速』なので、あのとき胸を締め付けた思いが、ようやく昇華された。

強く思い、伝えるだけでは必ずしも届くわけではないという、ある種非常で割り切った作風が、ほんの少し舵を切った。ただ、別に自分は新海作品に「悲恋」を求めていたわけではなかったし、独りよがりで内に閉じこもる思いを見たかったわけでもない。だから「最後に報われるなど言語道断」なんてことは一切思いもしない。だから自分はこの「新海」作品に満足するし、一方で多くの人にも届く物語になれたのではないか。

自分、『星を追うこども』の新海監督サイン入りパンフレット持ってるんだけど、「俺『君の名は。』の監督のサイン持ってるんですよー」ってわりと広く自慢できるようになったのかもしれない。これは。

(追記)

ふと思ったので書くけど、1000年続いてきた伝統の神社が一瞬で吹き飛んでしまったり、今そこにある街並みを残したいという思いで建設会社を受けてみたり、その景色を受け継いでいく、守っていくことの大切さと、それが人智を超えた力で踏みにじられることもある無情さを描いたのは、新海氏が幾度となく新宿の風景を活写することと関係あるのかなぁなどと思ったり。災害によって破壊の限りを尽くされる隕石の衝突シーンと、その後も変わらず発展する5年後の新宿との対比は、つい311を思い出してもしまう。