隣の人がリア充だろうと、非リアの僕には関係ないことですので

ますます”リア充化”するインターネット | ネットって気持ち悪いですか | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト

肌感覚としてはなんとなくわかるんだけど、上手いこと咀嚼しきれないので筆を執るなど。ブコメだと「ネット初期」の定義なんぞに話が飛び火してるけど、そんなことどうでもよくて「ネットは本当に非リアのものだったのか」ってのがおそらく色んな人の心に引っかかってるんじゃないかと思うんだが。

ちなみに僕は自分のことを非リアとは言い難いと思ってる。少ないとはいえ遊びに誘ってくれる友人もいるし、そこまで人間関係に不自由してはいない。但し、非コミュ。もうどうしようもないくらい非コミュ。他人との会話はストレスでしかないし、友人がいても自分から誘ったことは多分皆無。できれば一人でいたい。まぁ流行りの言葉だと草食系とかそういうのに当てはまるんじゃないですか。好きにカテゴライズして下さいよ。こっちも好きにやるから。

んで僕がネットに足を踏み入れたのって小6の頃だから、だいたい2000年前後のことになるんだけど、その頃のネットにリア充はいなかったかっつーと、いたよ。めちゃくちゃいたと思う。当時はさすがに今ほどネットにズブズブではなかったんだが、むしろ親がわりとヘビーなネットユーザーで、家族ぐるみでオフ会に行くとかそういう珍しい経験をしていた。そこで出会うのはサーフィンが趣味のおっさんだったり、自分の店持ってるおっさんだったり、2児の母親だったり、今でいうリア充に該当する人たちだった。まぁ怖かったね。自分からしてみれば知らないおっさんおばさんだらけの空間に突然連れてかれて、当たり前だけどろくに話も出来ず黙々と料理を食べてた記憶しかない。だからいまだにオフ会行こうとか思わないし、それ以前にそういうコミュニティに属してもいないのだが。

だから別に、ネットが非リアのものだったなんていう時代はなかったと僕は思う。正確には、ネットは非リアでもわりと簡単に居場所を作れたってだけなんじゃないかと。岡田氏の場合、いわゆるオタク的というかマイノリティな趣味を持ってたが故にリア充憎しって話だったみたいだけど、既知の通りマイノリティでも「同類」を見つけやすいのがネットなわけで。クラスに自分しかアニメ好きがいなかったとしたら、そりゃ非リアになる以外の道はないのかもしれないけど、ネットだとフラットだからすぐにアニメ好きを見つけることができる。だから非リアが寄り集まって「リア充爆発しろ」って言ってられたっていう、そんだけの話なんじゃないのかと。

そして最近はリア充が増えたというか、そもそもネットに人が増えた。リア充がとか非リアがどうとかじゃなく、誰でもネットを使うようになった。その原因としてはそもそも回線費用が下がったとか、iPhoneが流行ったとか色々あると思うけど。

でも、だからと言って非コミュを自称する自分がネットで息苦しい思いをしているかというと、そうでもない。何故ならリア充が目に入らないからだ。僕はLINEもFacebookもモバゲーも使ってない。どころかmixiもやめた。Twitterでもその手の人はあんまりフォローしてない。つわけでネットでリア充に接する機会がないし、そもそもそこにリア充がいようがなんだろうが、好き勝手ブログやTwitterで つぶやくことに変わりはない。だから、リア充が増えようがなんだろうが別に関係ない。そこは棲み分けができるものだと思ってるし、リア充が越境して襲ってくるわけでもない。岡田氏が言うには非リアは居場所を追われたらしいけど、じゃあその居場所って具体的にどこだったのか気になる。隣の人がリア充かどうかって、ネットでそんなに重要なことなんだろうか。僕にはそうは思えんのだが。

そもそもだ。ブコメで誰かも書いてたが、ネットでなら仲間を作っていろいろできましたあははんなんて言ってる時点で僕からすればもう上位の存在だ、この人は。いやそんなこと言われなくてもこれだけネットで有名な記者の方って時点でアレではあるんだけど、ネットでなら話しやすいとかなんとか言う人って、ホントなんなんだろうなー……。ネットでも他人は他人だし、コミュニケーションはコミュニケーションなんだけどな。相手の反応気にして心臓バクバクしたりする感覚はどっちでも変わんないんだけど。なんなの。

話は逸れたけど、まぁネットって誰のものでもないし、振る舞いたけりゃ好きなように振る舞える場所なんじゃないのかなぁ。隣は何をする人ぞって感じで、好き勝手やれる場所なのは今も昔も変わんないと思うんだけど。僕みたいにずっと独り言ブツブツ言ってても何も怒られないし。やっぱ楽だよ、ネットは。