演奏者がいて、聴衆がいて、初めて成立する音楽

昨日のエントリー同様、例の釣り増田からかなりの数の派生エントリーが登場しています。良エントリーも結構出てきていて、なんかもうここまで来ると逆に増田GJというか、釣ってる方も予想外だったんじゃないかなァ……と。特に僕が気に入ったのがコレ。

音楽とは誰かに聴かれたときにはじめて成立するもので、それは演奏者の意図した感情とか技巧ではなくて、聴衆がかきたてられたなんらかの感情が「音楽」なんじゃね?


言葉を発するのはヒトでなくて、ミクでも、九官鳥でもいい。聴くほうにメインスイッチがある。

http://anond.hatelabo.jp/20090308152436

素直に「ああ、そういうものだなァ」と納得してしまいました。ブコメにも書いたんですが、演奏すること自体の楽しさっていうのも勿論あります。セッションとかってのも演奏自体を楽しむ音楽と言えますし。でもそれは演奏者、表現者としての音楽の楽しみ方でしかなくって*1、増田ともども聴衆側の「音楽」はまた別の話。

単に苦労しました、頑張って演奏しました、いろんな工夫を凝らしましたじゃ音楽は成立しないんです。やっぱり聴衆がいて、何かを感じ取ってくれて、初めて音楽が生まれる。音を楽しむ場が生まれる。

演奏者の視点*2から言っても、聴衆から「感動したよ」「よかったよ」という反応をもらえることはすごく励みになります。むしろ、それを目指して、歌の素晴らしさを届けたいと思って音楽を披露するんです。何も伝えなくてよいなら、閉じこもって家でやっていればいい。何か伝えたいことがあるからこそ、ホールでお客さんを呼んで演奏するんです。ホールで演奏を終えたあとに拍手をいただけると、心の底から感動するものです。

そういう意味でいえば、音楽とは双方向的な側面を持った芸術なのかもしれません。もちろん、それ以外の側面、つまり演奏者単独、あるいは聴衆単独で成立する音楽もあります。前者は先に示したセッションなどがそう、後者はCDなどでの音楽鑑賞がそうです。でも、それともうひとつ、演奏者と聴衆が同じ場にいて、ひとつの「音楽」を生み出すということもあります。演奏者が伝え、聴衆がそこから何かを感じ取り、感動を現す。演奏者と聴衆がともにハッピーになれる音楽。ニコ動はコメントという形で聴衆の評価が現れるので、そういう音楽を疑似的に表現できる場であるともいえます。あそこではうp主も視聴者も一体となって、ひとつの音楽や動画を作り上げているように思います。

そこにもう感動が生まれているとすれば、やはり元増田のような第三者が割って入る余地はないと言っていいんじゃないでしょうか。

*1:悪く言ってしまえば演奏者の自己満足。

*2:僕は合唱を経験しているので。