初音ミクを殺してはならない

どっかで何度も述べられていそうな話を書きます。

コレは正直いいたくないんですがー機材君は自分に正直すぎるくらい正直なんで言っちゃいますがwキモかったwwwみくちゃんwwwラブwwwみたいのがwww

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機材Pという、ミクを用いて音楽を嗜んでいた人間から、ボカロ廃への痛烈な(なのか?)アプローチ。それに対して、

 僕も「ミク萌え」層は嫌い。あれは本当に嫌い。ミクはツールですよ。
 機材Pの言い方は、「ミク萌えのみ」層と「ミク市場期待」層を一緒にしちゃった点が問題。ミク市場に期待している層っていうのは、ボカロっていうツールが今一番作り手側の集まる最先端の市場である事を理解している人達で成り立ってるよ。この人達は多分ボカロの先があったとして音楽活動の新しい局面が訪れたときそっちに興味が移ると思うんだよね。この人達は音楽を楽しんでるよ。

2009-04-04 - 中空飛行日記

要するにそういうことですよね。機材Pは「初音ミクというくくりの中に所属したくない」と先のエントリーで言ってましたが、彼自身、ミクというカテゴリを単一のくくりとして見すぎていた傾向があるのではないかと。ミクで作られる曲が玉石混交なら、ミク曲を聴いている人間も玉石混交。

で、ここからが本題。

ミクは要らない子なのか

VOCALOIDは可能性として、ツールとしてすばらしい。ではミクは要らないんじゃないか、という議論ができると思います。もちろん、VOCALOID2がここまで大成した背景として、初音ミクというキャラクターが働いていたことは否定できないんですが。でも、VOCALOIDの技術的な面などを語るとき、どうしても初音ミク自体が置き去りになります*1。あたかも「彼女がいなくともボカロはすばらしい」と言えるように。

でも、僕は萌え要素であるミクが音楽的に邪魔だと言って、彼女を廃していいとはどうしても思えなくて。私もはっきり言って、初音ミクというキャラクター自体はどうでもいい派なんですが、それでもボカロ曲を聴くときは、彼女が歌っているのを頭の中で思い浮かべるんですよね。そう、すべてのボカロ曲を統べる架空歌姫として、彼女は各人の想像(妄想?)の中に存在するんですよ。

仮に彼女がいなかったら。僕たちはVOCALOIDの声を、誰の声として聴くのだろう? 藤田咲の声、というのも、生の彼女の声とは隔たりが大きすぎて違和感がある*2。となると、そこに「誰のものでもない」という一種の不気味さが生じてくるんじゃないかと思います。駅の構内アナウンスといえばわかりやすいでしょうか。ありふれているけど誰のものでもない、誰かじゃない声。そんな声に、音楽を託すことができるかと言われれば、僕は甚だ疑問に思います。

これは個人的な感じ方の問題かもしれませんが、彼女は「誰のものでもない声」を「誰かの声」にする偶像として、大きな意味を持っているんじゃないですかね。つまり、DTMに声を持たせる限り、初音ミクは殺してはならない存在なんじゃないかと。

それでもボカロは止まらない

ちなみに僕がボカロに傾倒する理由は以下のエントリーと同じ。

結局は「受信側にとって楽だから」なんだと思っています。

機材な人とかあれとかそれ 廃とダイアモンド

無料で毎日でも何曲もの新曲を簡単に探して聴けるわけだから、すごくこっちの意識が楽なんですよ、ボカロは。言葉は悪いですが、ハズレだったならウィンドウ閉じればいいだけで、何も損をすることはない。恐ろしいほど気楽に音楽が手に入るんです。そのことが良いか悪いかはまた別の話ですが。

結論から言うと機材君は初音ミクという文化に対してはものすごく否定的です。これ、流通とかの面では凄い革命が起こってるんだけど音楽という娯楽が商業的にも文化的にも前に進む為には何一つ利益は無いと思ってる。そもそも同じ声でおきた歌もののブームメントなんて長続きされたらどうすればいい?

そうでもないと思いますがね……。ボカロは「まったく新しい音楽の流通」を生み出したと同時に、「まったく新しい音楽の在り方」をも生み出していると思いますよ。

ああでも、ボカロ系でホッテントリが出るたび、過剰に擁護に走る僕のような存在は十分キモイとは思います(笑)

*1:先のchukuuさんのエントリーがそうだと言っているわけではないですよ。そういうときもあるという話。

*2:がくっぽいどとGacktの隔たりが顕著な例か。