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そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

繰り返される議論に価値はないのか

ブログ

ちょっと前に話題になった「全自動はてブ棚卸し」を使わせていただいている。僕がはてなを使い始めたのは昨年12月と、つい最近のことなので、半年前のものをRSSで受信しているのだが、たった半年前でも今とはブクマ傾向が違っていて興味深い。特に思うのが、1日のブクマ数の違い。

半年前の自分は1日に15〜20件と結構頑張っているのだが、最近の自分は一桁だったりする日が結構多い。半年前に比べ、RSSの購読料は格段に増えている一方、ブクマが減るという逆説的な状況になっている。でもこれは確かに自分にも覚えがあって、このところブクマしようか悩んだ末に「んー…ま、いっか」となることが多い。

ブクマが減ったのは、集中的に情報収集をする習慣がついた結果、「似たような議論」に遭遇することが多くなったためだと思っている。特に「新聞の崩壊」にはうんざりしていて、このところ目新しい話がまったくと言っていいほど出てこないのだ。ことは新聞崩壊に限らず、どこかで見た意見の「デジャヴ」ってのは、ネットをさまよってると結構経験するものじゃなかろうか。

議論は必然的に繰り返されるもの

だからといって僕は、「似たような話書くなよ!」と怒りたいわけじゃない。そりゃデジャヴには結構うんざりするものだが、ブログに何かを書こうとしたとき、「他の誰かがすでに同じことを書いていないか?」と手を止める必要性はまったくないと考えている。いや、新聞の崩壊はそろそろいいだろとは思うが……。

だって、議論なんてのは常に繰り返されるものだ。世界に「すでに語られた話」がどれだけあるというんだろう? それを読んだ、あるいは聞いた人はどれだけいるんだろう? そんなことを考えていても切りが無い。答えが簡単に出ない議論ってのは、よくある。それを何度も何度も繰り返していくことは、悪いことではないと思う。

逆に聞きたいが、同じ話を繰り返すことの何が悪いのか、よくわからない。エントリーが集まった「ウェブ」というものを情報資源として考えれば、そこに以前からあったようなエントリーを付け足すことは無意味だと思う。でもウェブってそういうものだろうか? 誰が管理しているわけでもなく、誰が支配しているわけでもなく、個々人が自由に好きなものを発信できてしまうのが、ウェブという空間ではなかっただろうか。だとしたら、繰り返しのエントリーだとして、それを非難する権利は誰にあるというんだろう? 「さっき見たよ」ってのは、自分よがりの勝手な非難の形じゃないのか?

自分にとっての新発見をつづる

自分もよく、「そういやこういう意見、前にもあったかもな……」と思いながらエントリーに起こすことがある。ときにはためらってしまうが、だいたいはそのまま思い切って公開する。なぜなら、そのエントリーは他でもない、自分にとっての新発見だからだ。

何年も前から繰り返されている議論だって、自分がそれを知らないことは十分ありうるし、それを発見して「今更ながら」感動することだってある。言い換えれば、他人にとっては「今更」でも、自分にとってはそれは「新発見」なのだ。ならばつづればいいじゃないか。何をためらうことがあるのか。

誰のためにブログを書くのか?という話でもある。読者ウケを考えたら、そりゃありふれた「今更」の話を書いても仕方ないだろう。だけど自分のために、自分の思考過程を残すためにブログを書くのなら、他人がどう思おうとそれを書けばいい。それにどれだけありふれた話でも、100%誰もが知ってるってことはまずありえないんだから、自分が書いた「今更」のエントリーが、ひょっとしたら誰かのためになることだってありえる。あるいは逆に、その話をすでに知っている人から、より深い示唆に富んだコメントをもらえるかもしれない。

そう考えれば、どんなエントリーだって無駄じゃないと思えてくる。というか、ちょっとでも「書きたい」と思った時点で、そのエントリーは自分にとって特別なものなんだから、深く考えずに書いてしまえばいいと思うのだ。