そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

だから松岡修造には励まされる

「熱くなれよおおお!」を始めとする暑苦しいというか、ともすればうざったいほどのテンションで知られる松岡修造という男がいる。なんか知らないけどネット界隈では人気があって、ニコ動ではかなりの数のMADが上がっているし、Twitterでも修造botが活動してたりする。

修造bot (@shuzo_matsuoka) op Twitter

それでどうにも彼のことって嫌いになれないし、むしろ、こういう人っていていいよなと好意的に見ている節が自分にはある。ぶっちゃけたとこ、どこまでが彼の素で、どこからがネタというかキャラを演じてるのか最近はよくわからなくなっているんだが、どうもテニスレッスンとかでもあのまま、あのキャラのようだ。

幾度か見た彼の子ども相手のテニスレッスンはこんな感じだった。レシーブのレッスン。彼がちょっと鋭い打球を打つ。子どもはそれに反応するが、追いつけなさそうだと判断するや、すぐに球を追うのをやめてしまう。そして松岡修造はすかさず叫ぶ。まあ予想できるだろうけど、「どうしてあきらめるんだよ!」と。それでさらに言う。「あきらめんな、絶っ対あきらめんな。大丈夫、絶っ対追いつける。絶対追いつけるからな!」

彼のその台詞に、どう根拠があるのかはよくわからない。彼ほどの教育者であれば「本当に実力がない子ども」は簡単に見抜くことができるんだろう。でもおそらく、そういう子どもに対しても彼は「あきらめんな!」と言う。何度も言う。もう一回やってみてダメでも、また言う。さらにもう一回ダメでも、「もう一回頑張ろう!」と声をかける。そしてついにレシーブを返すことができたとき、彼は「できたじゃん!」と、満面の笑みを浮かべる。

僕は運動神経というものをからっきし持たずに生まれてきちゃった子どもで、体育の時間ってものがこの世で一番嫌いだった。逆上がりやら二重跳びやら、定番の課題メニューは何ひとつできなくて、居残り練習もよくさせられたのだが、何より嫌だったのがそれに付き添う教師の表情だ。見るからにわかる。「どうしてコイツはダメなのかなあ……」と絶対に思っている顔。子どもって、人の表情を読み取るのが案外得意なものだ。そして僕は思う。「ああ、やっぱりダメなのか」と。この先生は僕を信じてくれていないと。やっぱり僕はダメなんだと。弱気な性格も災いして、繰り返せば繰り返すほど、練習の成果はあがらなかった。


「俺を信じろ。お前を信じる俺を信じろ」とは、「天元突破グレンラガン」のカミナの言葉だ。穴を掘るしか能がなく、村でも「汚い」と蔑まれて、ふさぎこみがちだった少年シモンに、彼はそう言葉をかける。これは作品全体を通じて何度も何度も繰り返される言葉で、後に成長したシモン自身もまた、別の人物に同じ言葉をかける。俺はお前を信じている。だからお前が自分を信じられなくとも、この俺を信じろ。お前を信じる俺を信じろ。無茶苦茶だが、なんとなく筋が通っていて、そしてなんとなく励まされる。

松岡修造の「あきらめんなよ!」という言葉も、これに通ずるところがある。彼は絶対に相手を裏切らない。どんな気弱な相手でも、絶対に真っ向から向き合って、彼を信じてやろうとする。そして言葉をかける。できるじゃねーかと。お前絶対それできるんだから、だからあきらめんなよと。

信じるのは難しい。落ちこぼれた人間に、失敗した人間にとって、それでも自分を信じて前に進むことは、ときに難しいことがある。そんなときに、彼らの言葉は強く心に響く。何より、松岡修造の言葉には嘘がない。彼は本当に、100%自分を信じて言葉をかけてくれているんだと確信できる。そういう表情をしているし、そういう言葉をかけてくれる。だから彼に励まされると、なんとなく元気になれる。


カミナの台詞は後に少し変わって、「お前を信じろ。俺が信じるお前でもない。お前が信じる俺でもない。お前が信じるお前を信じろ」という形に至る。そう、最終的には「誰かが信じてくれているから」という裏づけなしに、自分が信じる自分を信じなくてはならない。自分の足だけで、独り立ちしなくてはならない。そこに至ることができたとき、少年は初めて大人になるのだろう。