初音ミクという呪縛

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初音ミクと見せかけの魔法

初音ミクVOCALOID、あるいはVOCALOID2)の登場が音楽・作曲を解放したみたいな言説をいくつか読みましたけど、個人的にはそれと同時に付きまとう「初音ミクの呪縛」についても決して無視することはできないなと思っていて。そんなことを書きます。

初音ミクがこれだけ流行ったのは、純粋にVOCALOIDという技術に対する評価が高まったから。というわけではなく、初音ミクというキャラクターを巡るムーブメントが巻き起こったからだみたいなことは散々言われてきた。それはMEIKOやKAITOの知名度が低かったのに、ミク登場で突如としてボカロブームが起こったことからも、まぁ自明と言っていいのかなと思う*1。そしてミクのムーブメントは未だに終わっていない。というか、ミクを超えた人気を獲得するVOCALOIDが登場できていない。「新人潰しに定評のあるミクさん」は健在である。

VOCALOIDは確かに「特定の歌い手」を必要としなくなった。歌い手の入れ替えが可能になったと言うべきか、「楽曲」と「人間のアーティスト」という切っても切れない関係性を断ち切ったのかもしれない*2。でも、例えば先日発売された、ニコニコの歌い手clear氏の「Dearest」の曲目をここに挙げてみる。

01. Calc.
02. 「ねぇ。」
03. いろは唄 - DasocleaR
   Guest Vocal:蛇足
04. Sweet Sweet Cendrillon Drug
05. ゆびきり
06. Fire◎Flower
07. 闇色アリス
08. カンタレラ - cleanero
   Guest Vocal:nero
09. Under the Snow
10. from Y to Y

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この曲目群を見たとき、わかる人であれば「初音ミクの曲だ」、あるいは「ルカの曲だ」と思わずにはいられない。もちろん、さらに踏み込める人なら「ジミーサムPだ」「銀サクさんだ」となるわけだけど、それでも○○Pによる初音ミクオリジナル曲であることには変わらない。ミクはある段階での「音楽の解放」をもたらしはしたが、まだ音楽はキャラクターから解放されるまでには至っていないのだと思う。

キャラクターからの解放が可能かもしれないVOCALOIDといえば、今は「VY1」がある。ミクのような立ち絵もなければ、キャラ設定も、人間的な名前さえもない(開発コードの「MIZKI」はあるけど)。ともすれば、VY1の登場によって「音楽のキャラクターからの完全なる解放」が可能になる、のかもしれない。だけど、擬人化されてキャラクターが定着してしまう可能性は否定できないし、僕自身は「誰でもない声」に音楽を託すことは不可能じゃないかと考えている(関連:初音ミクを殺してはならない - 一詩人の最初の歌)。

「音楽を誰のものでもない無垢な存在に変える」という試みはすごくわくわくするし、それ自体を否定する気は全然ない。だけれども、それが初音ミクによって達成されたわけではないのだというのが僕の考え方。彼女の登場で、音楽はミュージシャンの呪縛から解き放たれ、そして初音ミクという「女神」の下に従えられてしまった。その呪縛は極めて重い。仮にミク曲のカバーでテレビに登場できるような歌い手が現れたとしても、「えーあの歌ってアレでしょー? 初音ミクとかいうのでしょー?w」の一言で拒絶されることからは逃れられない。逆を言えば、「ミクの曲歌ってる! すげーカッコいい!」の一言で受け入れられることもまたあるわけで。ミクってすごいよ。本当に何者なんだろう、彼女は。大好きだ(ぇ

もちろん、ボカロPや歌い手たちが、すべてミクに呪縛されていると言いたいわけじゃない。ボカロPの中でも、40?Pの「夏恋花火」とか、ELECTROCUTICAの「MOONLIGHT」だとか、ミクの外へと踏み出そうとする試みは多く見られるようになっている。だけど、それがミク神話の終焉を意味しているわけではない。彼女がとんでもない数の音楽を掌握するような状況は、まだまだ続く。ミクの物語はいつ打ち砕かれるのか。音楽が彼女の元から解放されるのはいつのことなのか。その回答を、VOCALOIDがいつの日か届けてくれるのではないか、と思う。

*1:ただ、ミク登場時に同時にニコニコ動画が存在していただとか、当然ながら複合的な要因があっての「ボカロブーム」ではあるとも思う。「ミク」の存在がそれに拍車をかけた形という認識。

*2:kawangoさんの日記にある「作曲家が主役である」の方はミクに限らないと思うのですよ。日本には遠藤実も、つんく♂も、浅倉大介も、中田ヤスタカもいるじゃないかって。だからここで問題にしたいのは、「歌い手の入れ替え可能性」とか「音楽の属人性からの解放」のあたり。