そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

アイディアを思いつくより、殺さないことの方が難しい

リアルの友人でブログを書いている人はあまりいなくて、たまに「始めたよ!」って報告が来ても、すぐに更新をやめてしまうことがしばしば。そういう人に「なぜやめてしまったのか」と聞くと、たいていの場合「何を書いていいのかわからなくなった」という答えが返ってくるんだけど、一方でその人はTwitterなら続けられたりしていて、なんとも不思議なものよのぉと思うわけです。

それって要するに、アイディアってのが何か特別なものじゃないとダメだと勘違いしてるんじゃないかなーと。Twitterを続けられるってことは、なにかしら表に出すだけのネタは手に入れている。でもそれをブログに書こうとなると、「ブログに書くほどのネタではない」と判断して自らアイディアを殺してしまう。本当はブログって結構些細なことを書いても反響来るし、「自分は当たり前だと思っていたけど、他の人は知らなかったこと」が一番面白いメディアなんですけどね。でもまぁ、自分で当たり前と思っているようなことは普通書かないわけで。かく言う僕だって日々何も考えずに暮らしているわけではないんだし、「書いてみればエントリーになる」ようなネタってのは日常の中にごろごろしてるはずなんだろう、と考えています。

これは何もブログに限ったことじゃない。仕事に就いている人はもちろんアイディアや思い付きが重要なんでしょうし、学生だって「卒論のネタが浮かばない」と半年ぐらいうなっていることはざらにある(僕ですけど)。でも実は、アイディアを思いついていないんじゃなくって、知らず知らずに殺してしまっているんだとしたら……?

で、肝心の「アイディアを殺さないためにはどうしたらいいか」なんですけど、それが簡単にわかったら僕も毎日ブログ更新してますよ。と、開き直っても仕方ないんですが……幸いにして今はユビキタスキャプチャーなんてのが流行ってたりします。要するに、「すべてをリアルタイムにその場で記録する」。これが何より「アイディアを殺さない」近道なんじゃないでしょうか。先の「ブログは書けないけど Twitterならできる」ってのもそうですけど、リアルタイムに短文を投稿することなら結構楽だったりします。それをEvernoteや手帳(もちろん Twitterでもいいでしょうけど)でやってみて、後から時間を置いて見直してみる。するとそのときには「使えねー」と思ってたネタが、実は何かしら使えるものだってことに気付いたり。これは「思考の整理学」にも載ってるぐらい古典的方法ではありますが。あるいは「自分の当たり前」が「他人の当たり前」ではないことに気付くために、誰かとアイディアについて話してみるのもいいのかも。

とかく、「アイディアは実は思い付いているんだけど、殺してしまっているから見つからないんだ」という考え方は、結構的を射ているんじゃねーのと個人的に考えています。