さよならモラトリアム

浪人生活1年+学部生4年というそれなりに人並なモラトリアム期間がようやく終わりを迎えるようです。今日までは毎日が夏休みのような生活だったのに、明日から週休2日で平日は9時間労働というのはいささか極端な気もしますが仕方ありません。サークルで徹夜の作業をしたり、バイトで始発帰りをしたりしていた僕としては早寝早起き生活が不安でならないのですが、なんとか順応していきたいと思います。

「大人になる前の猶予期間」という意味で「モラトリアム」という言葉を使ったのはエリクソンですが、日本ではあまりいい意味で使われる言葉ではないように感じます。モラトリアム=無駄な大学生活のように捉えられることも多く、ただ社会に出るのを先延ばしにしただけで、その4年間は時間の浪費ではないかと唱える人がいるのは事実でしょう。特に文系(というか人文系?)の大学生というのはよくdisられるもので、理系のように毎日実験に追われる生活をせず、講義にもろくに出席せず、無為に怠惰に4年間を過ごしているかのように語られます。僕も社会科学を専攻していたので文系の人間ということになるのですが、以前うちの大学の卒論が2chでネタにされたこともありましたし、少々心苦しいところではあります。それでもそれなりに自分は勉強していたと自負していますが。

話が逸れましたが、それでは悪い意味でのモラトリアムというのは、そう簡単に脱出できるものなのでしょうか。就職すれば、それはモラトリアムの終わりを意味するのでしょうか。僕はそうは思えないのです。日本の学生の多くが行う就職活動というのは、ほぼレールが敷かれています。以前、就活関連のエントリーでも言及したことがありますが、リ◯ナビやマイ◯ビといったサイトに登録し、端から興味のありそうな企業にアプローチしていって、内定が出ればその会社へ行く。もちろん、どの業界を志望するかである程度の試行錯誤はしているのでしょうが、与えられた選択肢から選んでいるという点では「敷かれたレールの上をただ走っていくだけ」に過ぎません。そんな出来合いの就職活動を通過することが、モラトリアムの終了宣言に成り得るのか。実は就活ですら何の「決断」もなく、それまでの人生と変わらない「流されるだけの日々」を続けているのではないだろうか。

終身雇用が崩壊したと言われ、そして「311」までもが起きてしまった今、就活の結果が一生を決めるとは限りません。リストラ、独立、起業、転職、再入学、ニート化、etc。今後も「人生が変わる機会」は数多く訪れるはずですし、モラトリアムへの終止符を打ち込むことはできなくありません。過去にとらわれず、未来に予断を持たず、今自らが持っている手札の中から、最善のものを的確に選びとっていく。そんな生き方が求められるんじゃないかと思います。もちろん、ある意味でのモラトリアムは終わったのでしょう。例えば今から僕が歌舞伎役者を目指すのは、少々現実的ではないと思います。プロ野球選手にもなれないのはわかっています。無限の可能性を想像して悶々とする日々は去り、徐々に見えてきた自分の天井に対して、いかに手を伸ばしていくかを考えなくてはならない。樋口師匠はおっしゃいました。

「我々の大方の苦悩は、あり得べき別の人生を夢想することから始まる。自分の可能性という当てにならないものに望みを託すことが諸悪の根源だ。今ここにある君以外、ほかの何者にもなれない自分を認めなくてはいけない」

森見登美彦『四畳半神話大系』

その覚悟を決められたときに、真の意味でモラトリアムは終わりを告げるのではないでしょうか。

今後のこと

中の人は会社に魂を売ったけど、chroju君は今後もネットで変わらず生き続けるよという路線を維持したいと考えています。週末に1時間ぐらいは時間を取って、ブログを更新する日々を続けていけたらな、と。ボカロ曲も聴きたいし、アニメも見たいし、好きな漫画や本も読みたい。一方ではしっかり勉強もしていきたい。そんな欲張りな人生になれば幸せだなーと脳みそお花畑状態です。

ひとまず自分のライフプラン上、今後数年かけて知識と経験とお金を貯められるだけ貯めるのが目標です。学部を出ても、まだまだ僕の知らないことの方がこの世には多い。池袋のジュンク堂に行ったときに味わう、一生かけてもすべての本は読みきれないことへの絶望感。あれを少しでも和らげられるよう努力せねばなりません。培った知識、経験、財産を放出するときが来たら、そのときこそ「さよならモラトリアム」と言えるかな、言いたいなと思っています。

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