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そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

きっと何者にもなれない僕たちは、いつか必ずマイナビに巡り逢う

就活にはそれなりに懐疑的なつもりでいた。あんな短時間の面接で僕のことをわかってもらえるはずがないとか、アレだけで人生が決まるわけじゃないだとか、いろいろ斜に構えつつ学生生活を送っていた。マイナビやリクナビに登録したのはまぁ出来心というか、あまりやる気はないけどこれぐらいは登録しとかなきゃなーぐらいの軽い気持ちだった。ポチポチと気になる企業にエントリーした。次の日から大量にメールが来るようになった。メールの情報をたどってイベントに参加した。就活生に会った。話を聞いた。焦った。情報がほしくてマイナビを読み漁った。やりたいことを見つけなければと思った。エントリーを増やした。いろんな会社を駆け回った。キーボードを叩き、ペンを握り、面接で声を枯らし、気付けば僕はいつの間にか、システムエンジニアという職業に就いていた。そしてふと我に返る。結局自分は、あれだけ懐疑的だったはずの就活に完全に迎合してしまったのではないか……?

マイナビに登録することが「考える」ことの終わり

マイナビが怖いのは、ありとあらゆる選択肢を排除してしまうからだと思う。現時点でマイナビ2013には、5709社の情報が載っている。しかし日本の企業数は400万を超える。マイナビに登録した時点で、399万社以上が選択肢から除外される。

あのサイトは本当に至れり尽くせりなシステムになっていて、気に入った企業に「エントリー」すると、勝手にその企業から資料やら説明会のお知らせやらが送られてくる仕組みになっている。エントリーさえしてしまえば、後はメールをチェックして、その指示に従って動いてさえいれば、いつかは内定に行きつける。考えることをせずとも、誰にでも内定への道筋は用意されている。

それでも就活生は、自分が「考えている」と錯覚する。選択肢の多さから、説明会や面接をいくつもこなすハードなスケジュールから、どこか「頑張っている」という充実感を得てしまう。たった20社エントリーするだけでも、手帳はほとんど埋まってしまう。その手帳を眺めながら、自分はどこの会社に入ろうかなどと悩む。与えられた選択肢の中で、自ら考えているかのような感覚に浸る。

多くの日本人は「きっと何者にもなれない」わけだから、将来のことに悩みながらも、大学3年生の秋に「取りあえず」マイナビに登録する。何の気なしに取りあえず。でもその瞬間、悩み続ける就活は終わる。マイナビに登録したその瞬間、ゴールまでのすべての道程が、自分の前に用意される。

それはある意味ではとても優しくて、またある意味ではとても残酷なシステムだと僕は思う。

本当に僕たちが「考える」べきこと

例のマイナビの広告は、1日の半分以上を仕事が占めるのだから、どう働くかきちんと考えろと説く。でも、働くことだけが本当に人生を決めるのか。きっと何者にもなれない僕たちが、「何者になるべきか」を考えて就活をするのは、大いなる誤りなんじゃないのか。

  • 自分が絶対に譲れないものを考える。何がなんでもお金が欲しいのならば、たくさん働いてたくさん稼げる会社に入ればいい。趣味が充実した人生を送りたいなら、残業の少ない仕事を探せばいい。
  • 自分が絶対にできないことを考える。机の前にじっと座っているのが苦手なら、デスクワークは避けた方がいい。親元を離れるのが嫌ならば、転勤の少ない会社に入ったほうがいい。
  • 就活しない道を考える。公務員になるとか、進学するとか、バイト先でそのまま雇ってもらうとか、マイナビを経ずに働く方法はいくらでもある。

きっと何者にもなれないからって、絶望なんてしなくていいのだと僕は思う。