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そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

なぜ他人に話しかけられないのか、あるいはコミュ障と非コミュの違いについて

読んだ。

コミュ障とか非コミュって言葉があるけど、僕はこの二語を自分の中で違う言葉として使っている。コミュ障は文字通り、コミュニケーション能力になんらかの障害があること。非コミュはコミュに非ず、つまりコミュニケーション能力の高さに依らず、コミュニケーションの場に参加することが苦手で、引っ込み思案なこと*1

世の中のコミュニケーション苦手な人たちはこの二つに大別できて、それぞれ対処法が異なると考えている。これは先のエントリーの中でも触れられてるけど、そもそもコミュ力が低いんだったら、磨く努力をすればいつかなんとかなるかもしれない。でも後者はそうはいかない。元々コミュ力があろうとも、話しかけるのが恥ずかしいとかいう理由でコミュ力を発揮できない。そして僕も圧倒的に非コミュタイプで、面接とかプレゼンとか話すことを強要される場では「話すの上手いね」って褒められるのだけど、飲み会とかでは端の方でちびちび飲んでるか頻繁にトイレに立ったりしてる。

で、インターネットがこれだけ身近になり、様々なそーしゃるめでぃあが使われるようになった今、よく言われるのが「メールなら恥ずかしくないよね」とか「Twitterのリプなら敷居低いよね」みたいなインターネットがコミュニケーションのハードルを下げた論。いや、うん、まあ、確かにそういう人がいることはわかるし、僕もメールの方が電話より楽ではある。楽ではある、が。しかし果たしてSNSのような場でウェブ上の友人を作ったりとか、そういう「他人に能動的に働きかける」ことへのハードルが下がったとは思えんのだ。相手の顔が見えてようがなかろうが声だろうが文字だろうが、自分の外側にいる他人という存在に自ら主体的に働きかけなくてはならないという、コミュニケーションにおける最も根幹の部分はウェブでも決して揺るがない。そして僕はこれが徹底的に苦手だ。

話しかけるということは、相手の意識の中に自分が入り込むということで、これがもう、本当にダメ。相手から話しかけてくれるんだったらまだマシ。しかし自分から話しかけるのは苦しい。リプライすらキツイ。相手が返してくれるかとか大して興味ない話題ふっちゃったんじゃないかとか「てゆーかお前誰?」って思われてないかとか、なんかもういろいろ気にしちゃって自分から飛ばすことはほとんどない。

最近思うのは、この手の苦手意識って自分を過小評価している故か、単に勇気がないだけなんじゃないかってこと。相手に自分から与えられる「何か」を持っていないと考えているから、多分話しかけるのができないんだ。あるいは何も与えられなくってもいいやって思うような勇気がないからか。まぁとにかく、24歳にして未だに人生逃げのターン。

そんなわけで、要は勇気がないんでしょ?*2系の人がコミュニケーションを円滑に進めるのには、インターネットはあまり役に立たないんじゃないかと考えている。しかしこういう意見を一向に見かけないので、ひょっとしたらこんな悩み方しているのは僕だけなのかと思ってエントリーを立ち上げた次第。あ、ちなみにエントリー書くのは全然いける。だってこれ独り言だもの。勝手に誰かが読みにきてくれるだけだもの。話せること書けることと、話しかけられることって天と地ほども差があるんじゃないのかね。そうでもないのかね。インターネッツマジ怖いわー。

*1:あくまでオレオレ定義です。

*2:懐かしいですね、これ。僕がはてな始めたのがちょうどこの頃だった。