そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

インターネットがあらゆる蛸壺を破壊する

インターネットやってると自分の興味ある情報しか集めなくなって、次第に人々が狭いコミュニティにこもって「蛸壺化」していくという言説をよく見かけるのだけど、今回の騒動を見るにそれって逆なんじゃないかって思う。

虚構新聞はもう8年なんて長いことああいう馬鹿(※悪い意味じゃない)をやってきているわけだけど、今までは一部の好事家が読みに行ってニヤニヤしたりとか、せいぜいはてブで釣られる人がいて「なんだよ虚構かよ」って言う程度だった。それが突然爆発的に広まって今回の騒動。別にネタ自体も今回が特段「本当っぽかった」というわけではない気がするし*1、偶然にもTwitter上で大きく広がってしまっただけの原因だと思う。結局、元々「蛸壺」の中で楽しまれていたから問題のなかったものが、蛸壺の外へ無防備に引きずりだされた結果がこれなんじゃないかなーという気がしている。確かにネットでは自分の見たい物ばかり見てしまうのかもしれないけれど、一方で見たくないものだって山のように目に入って来る。

https://twitter.com/#!/takaswy1981/status/201498038596927488:twitter

ちょっと前に「スマイルプリキュア!」の大塚監督がネット上に広がるコラ画像について苦言を呈していたけど、これもインターネットによって「蛸壺が破壊された」結果なんじゃないか。狭いコミュニティで楽しんでいたはずのコラ画像を、ネットという裾野の広いメディアに載せてしまった結果、元々そういう文化への許容がない層の目にまで届くようになってしまった。別の例を挙げれば昨日あたりにカニバリズム系の記事がかなり耳目を集めていたけど、僕はネットがなければカニバリの様子を(静止画ではあるが)見る機会なんてなかったと思う。ていうか見なきゃ良かったと思う。マジで*2

もちろん「蛸壺の破壊」は悪い影響だけではなくって、例えば遅れてやってきたボカロブームなんてのもその一つに当てはまる。きっとネットがなければ「初音ミク」はコアな音楽ファンが楽しむものだけだっただろうし、仮にネットがあってもニコニコ動画がなかったらここまでの盛り上がりはなかったかもしれない。インターネット全体というより、ひょっとしたら一部のソーシャルメディアが次々に蛸壺を壊して回っているのかも。もっと端的に言ってしまえば、Twitterとかそういうあたりか。

とにかく、ネット上に存在している以上「嫌なら見るな」も「嫌だから見せるな」も通用するわけはないし、「己の蛸壺をいかにして守っていくか」なんて試みも最終的には無意味なんじゃないかと思う。「すべての蛸壺が破壊される可能性がある中で、私たちはいかに振る舞っていかなくてはならないのか」が、10年代のインターネットにおけるメインテーマの一つになるんじゃなかろうか。

*1:個人的には「[http://kyoko-np.net/2010110501.html:title]」とか割りとガチで釣られた。

*2:超閲覧注意なのでリンクは貼らない。