ACTAを巡る子供たちの誤解と、VOCALOIDを聴ける世界

(追記 8/1)
米欄に「リンク貼らせてもらいます!」っていう書き込みが多いので不安になってきました。まず断っておくと、僕は著作権の専門家でもなんでもない、ただのボカロが好きなサラリーマンです。

僕がこの記事で言いたかったことの一つに、「著作権について正しく理解するって難しいよね」ってことがあります。著作権って難しいんです。大人でも。だから、真実っぽい主張がどこかにあると、みんなそれを信じちゃうことが多いんじゃないかと思います。今回の「ACTA騒動」は、そうして信じられた「真実っぽい主張」が実は間違っていたことが大元の原因になっています。

この記事についても同じことが言えて、僕はわかりやすく本当のことを書いたつもりですが、それでも間違いがある可能性はゼロではありません。なので、これだけが真相なんだと信じ込まないでほしいと思ってます。もちろん、この記事を信じるなと言っているわけではないです。でも、ネット上で「真実」を見つけるのは本当に難しいことなので。安易にこの記事だけを真実だと思って、飛びつかないでほしいなと思いました。そのことが、今回のような騒動を防ぐことにもつながるはずです。

(以下、本文)

少し前にこんなスレッドを見つけた。メビウスリングについては以前どこかで聞き覚えがあるようなないようななんだが、どうも小中学生あたりが使うコミュニティサイト?のようなものっぽい。そこで話題になっていたのが、「ACTA(偽造品の取引の防止に関する協定)に日本が批准することによって、VOCALOIDが禁止されるのではないか」ということ。ネットで反対署名を集めようとしていたり、ちょっとした騒動にはなっていたようで。

結論から言うと、彼らの心配は杞憂である。ACTAは偽造品や海賊版を取り締まるための国際協定であって、ただのDTMツールに過ぎないVOCALOIDとは関係がない。どうも彼らが懸念していた論理は

『ACTA』という協定は知ってますか。
もともと、偽ブランド品の販売防止などの為の協定なんだそうです。
それが、どういう訳か、二次創作作品を作ることを『犯罪』と言っているんです。
それをダウンロードや閲覧した人も犯罪になります。
どちらとも逮捕されます。

ボカロ曲→VOCALOIDというもともとある物を使っている→著作権違反→逮捕 って感じで。

ということのようだが、その論理が通るとすればACTA成立以前にすでにボカロシーンがアウトである。その辺りはクリプトンさんがいろいろ認めてくれているので、現在のボカロシーンが成立したわけで。ボカロでオリジナル曲を上げることは著作権的には何ら問題がないし、仮にCDで売っている曲を打ち込んでボカロに歌わせてニコ動に上げたところで、ニコ動はJASRACと包括契約を結んでいるので違法とはならない。

で、だ。僕は別に子どもたちに大人気なくマジレスがしたいわけではなくて、この騒動から「やっぱり子どもに著作権について正しく理解してもらうのは無理じゃね?」と思い至ったって話をしたかった。ネット時代、著作権の問題と無縁で生きることはできなくなりつつあるけど、じゃあ著作権上全くの「白」として生きることができるのかというと、これもかなり難しいんじゃないかと思う。そもそも著作権法の全体を正しく理解することが難しいというのがまず一つ。僕自身、著作権の知識はベースは知っているものの、細かい点ではいろいろ危ういと自覚している。それがまして子どもたちに一つの法体系を理解しろというのは、はっきり言って現実的ではないんじゃなかろうか。殺人を犯してはならないとか、万引きをおかしてはならないみたいな倫理的にわかりやすい法であればいいが、著作権とはそうではない。ネットに上がっている曲を好きに聴いているだけで犯罪扱いになるというのは、彼らにとって実感が沸かないんじゃないだろうか。

もう一つ、オタクのやっていることというのはそもそもにして著作権的にグレーなことが多い。MADにせよ同人誌にせよ、厳密にはアウトである(例外もあるが)。それを各企業の黙認の下で活動していたり、ニコ動であれば削除されるまでの刹那の中で楽しんでいたりする。なんつーかこの、「本当はダメなんだけど」という感覚も実にわかりにくい。ニコ動で動画が消えて「ふざけんなー!」みたいな米が殺到することは少なくないが、本来なら「ふざけんな」なんて言えない立場であるわけだ。そんなグレーな世界で、子どもたちが安全に楽しむことができるのだろうか。現にそのあたりの誤解から、今回のACTA騒動が起きているんじゃないのか。先に挙げたスレの中身を見てみると、なかなかに錯綜した彼らの著作権意識がよくわかる。

無論、無知を免罪符として行使しても構わないと言いたいわけではないのだが、子どもが「好きな音楽を聴けなくなってしまうかもしれない」と心配するような状況を作ることが、著作権法のやるべきことなのだろうかと疑問に思う。著作者の利益は守られるべきだし、そうでなければ我々が文化を謳歌することはできなくなるし、そのための著作権法というのは必要なのだが、それが巡り巡って消費者を混乱させている今の状況は、やっぱり好ましくない。僕が子どもの頃の音楽との付き合い方と言えば、好きなCDを友人と分担して買って貸し借りしたり、一生懸命考えて作った「マイベスト曲10選」MDをみんなで聴き合ったりするもので、そこで著作権について考える、なんてことはしていなかった。今の子どもたちは「音楽」を楽しむ上でネットと付き合うことを避けられない。VOCALOIDが小中学生の間で人気である、というのは今回の騒動を見ても、どうも本当のことのようだ(実を言うとあまり信じてなかった)。彼らがネット上で、子供時代の僕らのように気兼ねなく音楽を楽しめる日が来てほしいと切に願う。

以前から個人的に思っていることなのだが、ネットがない時代に生まれた「著作権法」が、今の時代に本当に適しているのだろうか。ダウンロード違法化にせよSOPAにせよ、「著作権法違反」という違法行為の定義自体は見直さない形で議論が進んでいる。そもそも著作権とは何なのか、このネット時代にどうあるべきなのかというところから、一度みんなで洗いなおした方がいいんじゃないかと思う。

まぁしかし、いずれにせよ無知はよくないので、せめてニコ百の「著作権」の項目ぐらいは読んでからニコ動で遊んだ方がいいんじゃないかとおじさんは言いたいです。