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そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

初音ミクに片思いし始めて、もう5年になるようです

音楽・VOCALOID

初音ミクを聴き始めた時期と、僕がネットで「くろじゅ」を名乗り始めた時期はわりと重なっていて、というより大学入ってgdgdネットばかりやるようになったことでボカロもはてなも始めるようになったというべきで、そう考えるとここ5年ほど、自分がネットでやってることはさほど変わっていないということになる。gdgdしながらもどうにか単位を取り終え、職にも就いたわけだけど、相変わらずボカロを漁って面白い記事をブクマして、ブログで戯言ほざくような毎日だ。そのことによって僕の人生が一歩でも前進したのかと言うと多分そんなことはないんだろうけど、しかしまぁ楽しいのでこれはこれで良いのだと思う。だがそれにしたって、このgdgdが5年も続いているとなると自分でも驚く。

こういうこと書くと大げさすぎてなんだか恥ずかしい気分になるんだけど、誇張なしに初音ミクは僕の人生に相当な影響を与えたと思う。元々合唱をやっていた身としては、「歌」ってのは楽器を必要とせず、人間の身体一つだけで作れるちょっとした神聖な音楽のように考えていた節があった。実際のとこそんな大層なものではないんだけど、例えば『天使にラブソングを』とか見てると、元はただの尼さんの集団だったのが終いには街の人たちを自然と惹きつけるような音楽を身体一つで生み出していて、あの圧倒的なパワーってのはやっぱり全身を使って、腹の底から声出してこそ生まれるものなんだろうなーとか、そんなことを考えたりしてた。人が、人を惹きつける、その間には見えない強大な力があるようで、その演奏者と観客との関係性が好きだった。合唱でステージに上がったとき、自分と舞台の向こうとの間が歌で結ばれる感覚がたまらなかった。

でも、ミクは身体がないのに歌える存在だった。そのギャップが最初はどうにも気持ち悪い気がしていたんだけど、1曲、2曲と興味半分で聴いていくうちに、自分でもよくわからないが引きこまれていった。頭が痛くなるような機械音だと蔑む人も多いけど、合唱出身であれほど「歌声信仰」を持っていた自分には何故かそう聴こえなくて、驚くほどすんなりとミクの声は受け入れられた。気付けばもっといい曲はないか、もっと面白い動画はないかと探すようになっていた。

人の歌が演奏者と観客とを結びつけるものなら、ミクの歌は何を結びつけるのか。合唱のそれと同じように考えれば、ミクの歌はミクと我々を結びつけるものということになるんだろうけど、ニコ動でミク曲を聴いているときに感じるのはミクファン同士の結びつきだ。ミクが歌っている、電子の歌姫は実在するとどれだけ吠えたところで、結局彼女を取り巻くのは生きた人間だ。ミクのライブでいくらサイリウムを架空の歌姫に向けて振ったところで、実際にあのライブを創り上げたのは泥臭い人間の努力であって、ステージの真ん中には誰もいない。この面白くも不可思議な音楽シーンの中で、初音ミクという存在はいわば特異点のようにぽっかり浮かんでいる。そしてその特異点を中心に、彼女を取り巻くあらゆる人々が結び付けられる。そう、だからこそこの5年間は楽しかった。彼女を追いかけ、彼女を共に追いかける人たちに出会い、僕たちは観客であると同時に、常にシーンの演者でもあった。

5周年。彼女自身を祝福すると共に、彼女を取り巻く全ての人を祝福したい。ニコ動がクローズドな音楽空間と化してきたとか、にわかに商業色を帯びて色々面倒な話も飛び交うようになったりとか、まぁそんなことは大した問題じゃないのだと思う。それでもこの流れはもう絶対に止まらなくて、シーンは広く深く広がり続けていくしかないのだと思う。


ボカロファンの中で大して有名なわけでもないし、聴いている曲も飛び抜けて多いわけでもないけれど、それでも確かに初音ミクが好きで、5周年を迎えたこの日に何か書いてみたかったので書きました。初恋の女の子には確か7年ぐらい片思いしてた気がするけど、ミクに対する思いはそれ以上に続いていきそうな気がします。