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そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

もうそこに、VOCALOIDの影はなく

たまたまランキング1位の動画を見てみたらすさまじかった。いや、いい意味で。

ボカロ曲って大別すると「VOCALOIDとしてのキャラソン(ex:ハジメテノオト)」と「全然ボカロ関係ない曲を歌わせてるもの(ex:メルト)」になると思うんだけど、仮に後者の曲でもPVにはミクやGUMIがいたのよね。大体の場合。そこではミクは単なる人間の女の子だったり、会社帰りのサラリーマンだったり、架空世界で戦う主人公だったり、まぁいろいろな役割を負わされてはいても、とりあえずミクはミクだったわけで。そうとも言い切れないのかな。いやでも少なくとも今まではそういう動画が多かったと思う。

でももうこの動画の中にVOCALOIDはいないわけで。いないんですよ、どこにも。PVとして繰り広げられている学園物語はVOCALOIDが関係ないものだし、ボカロが扮したキャラも登場しない。この曲はGUMIを使ってるわけだけど、解釈の仕方によっては主人公の女の子が唄っているかのようにも見れるわけじゃないですか。というか僕にはそう聴こえてきた。より正確を期して言えば、いわばGUMIが声優としてあの女の子に声をあてていて、この動画は主人公が唄うキャラソンを兼ねたOPみたいな。そういう感覚。もう前面に出てくるのはPさん、この動画だとLast noteさんが築いた独自の世界観なのであって、VOCALOIDの存在はその裏手へと隠れている。

いつからこういう風潮が流行り始めたのはわからないけど、カゲロウデイズもそうだったよな、と。Pがオリジナルコンテンツを構築し、その主題歌を唄う歌手としてVOCALOIDが採用されるという構図。これ、個人的にはコンテンツを売り出して行く上ですげー効果的だと思います。仮にカゲロウデイズを唄ってるのがリアルの歌い手だったらどうだったんですかね。生々しいですよね。テレビアニメ見てるとその裏に声優の存在が透けて「テラ子安」とかコメントしたくなりますが、ボカロ使ってるとそれがないんですよね。無人格性とでも言うのかな。コンテンツが誰のものでもなくなり、誰もが自由に入り込む余地があるような、そういう感覚。これまではボカロ曲という存在が無人格なものでしたけど、今って無人格なコンテンツも生み出せるようになったんだなーとか、感心しました。ここに来て、ようやくVOCALOIDはアイドルでも女の子でもなく、ただの楽器になることができたんじゃないかって思う。面白い。ああ、これがインターネットだよ。VOCALOIDって多分、ここに行き着くために生まれて来たんじゃないかなー。ミクさんは天使で女神だけど、一方でやはり楽器でもあるわけでさ。

カゲロウデイズ的な「ボカロを主題歌歌手に起用したオリジナルコンテンツ」はおそらく中高生辺りを中心に流行ってるんだと思いますが、こういう動き、もっと広がってくれると面白いです。いや、いいよホント。名もなき人たちが考えた世界観を、たくさんの人たちが共有して楽しむっていうの。あまり内情理解していないのに、勝手なことを言うようですが。おじさんとしてはね、悲しいことに「グリーングリーングリーン」とか聞くと、脳内で「害悪細菌」としか変換されないんですよ。うん、さっちゃん良いキャラだったよね、うん。