そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

ボーマスは行けるが「超」ボーマスには行けないというメンタリティ

ボーマスは行ける。文フリも行ける。コミケも行ける。が、超会議は勇気が要る。このどうしようもない断絶について。

ボーマスは何度か行っている。初めて行ったのはボーマス9で、初めて買ったCDはElektlyzeの「Piece of Cipher」だった。今回はその再編集版にあたる「Piece of Cipher +」が出るという話だったし、他にもいくつか欲しいCDもあったのだけど、「超」ボーマスとなるとなんとなく近寄り難いと思ってしまう。というより、超会議に行こうという思いがあんまりない。

はてブ上ではありゃオタクではなく、もはや(おそらくは広義の)ヤンキーの集まりなのだとかってコメを目にした。タイミングの悪い例の歌い手の事件もあってか、Twitter上では下品な別名で囃されたりもしていて、まぁいろいろと言われているのだが、僕自身はそこまで毛嫌いしているというわけでもない(そもそも、他のクラスタを嗤うという行為自体を肯定できない)。元がニコニコである以上、根っこのところは同じなのだろうとは思うし、そもそもフォロワーが何人も幕張に行っていたのを見ているから、クラスタとしてそこまでかけ離れているはずもないと思う。ただ、何故か遠く感じる。あそこに行ってみてもおそらく、気圧されて終わるだろうなという思い。自分のホームにはなり得んだろうなという思い。

もう収拾がつかないのだ。自分の観測できる範囲の中に、もうニコニコは収まり切らないし、収まることもない。今回の超会議を見ていると、どうしてこうなったというぐらい規模がデカイ。首相が来ているというよくわかんないハシャギっぷりは取りあえず置いとくとして、ローソンやらファミマやらが出展していたり、大塚食品なんつーたいしてニコニコと関係なさそうな企業も協賛していたり、自衛隊も来てるしアニソンLIVEもやるし、有り体の言葉でいうところのカオス。本気でカオス。リアルがネットに流入してきているというか、もうかなりリアルに侵食されている。ファミマ入店音を素材にみんなで盛り上がることと、大手企業である株式会社ファミリーマートさんがブースを構えて我々を待っていることとは大きく異なる。まぁミクさん片手においでおいでされたときはもう全速力で駆け込んだりはしましたけど。しかしネタにしていた相手が、そのネタの渦中へ飛び込んでくるということには、なんとも言えない違和感を覚えてしまう。

ニコニコはもうネット文化、などではないのだと思う。ボカロ一つを取っても、今やもう中高生の間に本当に浸透していて、街中でボカロの話をしている学生集団を見ることだって少なくない。ネット発祥の文化を、ネット上だけで消費する時代ではなく。ネットはもう、リアルに降りてきている。Facebookのように、リアルがネットに歩み寄るのではなく、ニコニコは自らリアルへ侵食している。昨日のテレビ番組について、学校で友人たちと話すかのように。超会議の「ニコニコ動画のすべて(だいたい)を地上に再現する」というコンセプトは、そんな実情を一点に集約した上手い文句だよなーとか考えている。

僕にとってネットの世界は、常に液晶の向こう側だ。リアルな友人とネットで流行っているアレコレについて話すというのはどこか気恥ずかしく、気が引けるものだし(雑談程度に「ああ、あの記事おもしろかったよねw」ぐらいなら話すけども)、リアルな知り合いを誘ってオフ系のイベントに行くということもない。ニコニコ動画だって休日や会社帰りにチラッと見て閉じるだけの存在だし、リアルな私との関係は薄い。そんな5年前から変わらぬ視聴スタイルを続けているうちに、いつの間にかニコニコは僕の手の届かないところまで行っていた。

 

と、行ったこともないイベントについて想像だけでつらつら書いてしまったが、ホントどーにもアウェー感が拭えないんだよなぁ、超会議。いや自分が老害化しているというか、古いカルチャーのまま動かずにいるんだということはよくよくわかってはいるのだが。というか単に「クラスタが違う」という一言で済みそうな話でもあるのだが。しかし彼らが本当にパ◯パ◯超会議なんつー言葉で揶揄される謂れがあるのか?と言えば、どうにもそうは思えない。そもそも初音ミクを通じて、散々「ネットがリアルへ降りていく」様を見てきた僕が、今更なぜにこんなところで拒否反応を示してしまうのか。リア充。うん、たぶんリア充臭を感じるからだ。幕張に。

ただし、ニコニコは応援している。それは間違いない。おそらく来年も再来年も、ちまちま毎月500円をお布施しながら、家でニコニコしていることだと思う。