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そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

建築家ではないが、建築であり、そしてインターフェースである

サブカル インターネット

表参道GYREで開かれていた『建築家にならなかった建築家展』を見てきた。表参道にちゃんと目的を持っていくのは実は初めてで、原宿に比べればまだ難易度は低い(竹下通りのキャラキャラした空気に当たったらこの25歳のおっさんは即死すると思う)と考えていたんだが、ちょっと歩いてみたらパンケーキ屋にネズミの国もびっくりな3時間待ちの列が出来ていたりして、ああやっぱこの街もアウェーだなという認識を持つに至った。いや、たぶん開拓すれば楽しいと思うのだが。

建築家にならなかった建築家という矛盾に満ちたタイトルの企画だったが、要は建築を学問として学びながらも、建築家以外の道で活躍しているアーティストなりデザイナーなりの展示企画だった。例えばそれは東京R不動産だったり、『石巻2.0』の飯田昭雄氏だったり。建築と共通項がありながらも、外のフィールドへと飛び出している感覚。まあ俺は建築の教養が全くないので詳しくはわからないが。

で、特に印象深かったのが齋藤精一氏の展示だ。auが流してたきゃりーの増上寺ライブのCMはかなりの人が見たことあると思う(普段テレビをほぼ見ない俺が知ってるぐらい)のだが、アレである。建築の外野からのコメントで申し訳ないが、ああいうのが今日的な建築なのかなと思ったりしてる。


60s きゃりーぱみゅぱみゅ CM au 「Full Control Tokyo / Real」篇 - YouTube

建築とはそもそも、不動のものだ。長くは100年以上、短くても10年近くは一度建てたら動くことはない。都市のメタボリズムは通常数十年周期というダイナミズムの中で考えられているわけで、一度作り上げられた風景は、そう簡単に変えられるものではなかった。

だが例のきゃりーのライブで行われたのは、刹那的に建築を書き換えるという試みだ。場所は増上寺。1974年再建ではあるが、元は戦前から存在していた建築であり、すぐ隣に東京タワーが聳えようとも、変わることなくあの場所に現前している。それが一夜だけ、プロジェクションマッピングによって姿を変えるわけだ。本来決して変わらない、変えることのできなかった「建築」という概念を、プロジェクションマッピングはフレキシブルに書き換えていく。もちろん、これまでもリフォームだとか外壁の塗装だとかライトアップだとか、建築を「書き換える」技術はあったわけだが、プロジェクションマッピングはそれらより遥かに劇的で、刹那的だ。

さらに面白いのは、このときのプロジェクションマッピングはスマホアプリの操作と連動していたということ。つまり、ライブにおいて増上寺はリアルタイムに、しかも人々の意思によって書き換えられた。「ソーシャル」と「リアルタイム」というのは特に10年代以降のウェブ社会を語る上で外せないキーワードだと考えているが、ここではまさにその2つの要素が、リアルの世界に干渉した。

ウェブとリアルの干渉はこれまでにも多くの試みがあったと思うが、長大な歴史と巨大な質量を持ったものに対してウェブが干渉したというのは、なかなかに新しいんじゃないかと思う。これがどう役に立つのかとか、どういう意味を持っているのかとか、そんなことはよくわからんが、とにかく俺はこれをすこぶる面白いと感じる。人と人とを結びつけ、フラットな場を提供するのがウェブであれば、それをさらに別のテクノロジーを使って、リアルの物質まで結びつけたインターフェース。こういうのがデザインの仕事なんだと思う。

この展示会の前日には、デザインフェスタにも行ってきたのだが、デザフェスに出展している方の多くは、ウェブでも自分の活動をアピールしている。コミケなんかとも同じ構造だが、普段ウェブで眼にしている作家さんのアレコレを、リアルの場に「降りてきて」実際に触れ、語り、購入することができる場がデザフェスだ。あのイベントって本当にいろーんな趣味の人が出展していて、グロいものもあれば奇怪なものもあるし、伝わらないほど細かい造型や、まるで見たこともない不思議なものもある。今回インパクトの大きいところでは、ライブペイントで壁一面に般若心経を書いてる人がいたりもした。複雑に入り組んで、普段はお目にかかることのない他人様の頭の中を覗きに行ける絶好のイベント。脳味噌と脳味噌をつなげるインターフェースとして、俺はデザフェスを楽しんでいる。

2013-11-04 21.42.43

なんだか長いわりに凡庸な結論に近づいてきた気がするが、俺が興味あるのは、こういう「インターフェース」をデザインすることなんじゃないかと思ってる。人と物を、人と人を、未知と知をつなげるインターフェース。それは例えばメディアであり、スマホのようなデバイスであり、デザイナーのような表現者であり、教師のような伝道者だ。このブログだってその一端だ。インターネットであらゆるものは繋がったし、そんなことはもうみんなわかっている。これから考えるべきことは、その先に何を繋げていくのかという課題なんだと思う。