フラットデザインはむしろ難しい

2013-11-10 20.54.33

AndroidのHOME画面を流行りっぽくしてみました。アイコンも壁紙も拾い物だし、そう胸を張って出すほど俺は大したことをしてないんだけど。

しかしフラットデザインは難しい。前に何処かで「フォトショを使って様々な加工を施す必要がなくなったから、フラットデザインによりデザイナーは楽ができるようになった」なんて言説を読んだが、正直何言ってんだコイツはと。といっても俺別にデザイナーじゃないんだけどさ。

スキューモーフィズムに比べてフラットって縛りが多すぎると思うの。単に立体感を失くすだけじゃなくて、ビビッドなカラーを使うだとか、ぼやかして彩度を落とした写真の上にタイポグラフィを載せるだとか、それってフラットとは関係なくね?ってとこまで定義されている。もちろん絶対のルールではないから頑なに意識する必要はないんだけど、現状多くのフラットデザインが似たような外観になっちゃってる気がするんだよな。要は差別化がしづらい。

スキューモーフィズムはまぁ、フラットが出来て対称概念という形で初めて定義されたような気もするが、漠然とリッチで立体的で現実のオブジェクトを真似たようなデザインスタイルとされている。そこで「何を真似るか?」というのは個々のデザイナーに任されていたわけで、だからOS Xのようなアルミを削りだしたようなデザインもあれば、Windowsのようなプラスチッキーなデザインもあった。初期OS XのAquaもまたプラスチッキーではあったけど、Windowsのそれとは趣が異なっていたわけで。

フラット化というのは、これまで個性を発揮する場であった過度の装飾や演出をすべて捨象してしまうので、独自のUIを生み出すことへのハードルは上がってしまったように思う。もちろん「とりあえず流行りっぽいデザインがいい」だけであればスキューモーフィズムよりずっと仕事は楽だけど、でもそれで満足できないよね?という話。

まぁ俺、デザイナーじゃないんだけどさ(2回目)