1988、狭間の世代とインターネット

「ぐるりみち。」というブログさんで1989年前後生まれのブログをまとめたいというエントリーが上がってまして、ブコメで「88年1月生まれ」であることを表明したところ、被リンクいただいた……というか便乗させてもらってしまったので、責任もって何か書こう。もうだいぶエントリーから時間空いてしまったけど。暇ないんですサーセン

正確に言えば自分はg87にあたるわけだから、先ほどのブログの趣旨からは外れるのかもしれない。89年生まれのポイントは「初代平成生まれ」だから、その意味では自分は昭和最後の1年を経験してはいる。とはいえ同世代は同世代だ。もうこの年齢になると、2~3個程度の歳の差はあってないようなもののように思える。生まれた頃から不景気で、十五でゆとりと呼ばれたよ(ギザギザハートの子守唄のメロディに載せて)。どこか鬱屈した90年代をくぐり抜け、ミレニアムを迎えてようやくお祭りムードを味わえたと思ったら、その翌年には旅客機2機がツインタワーに突っ込んだ。そのとき自分は13歳。小泉劇場という記憶しかない高校時代を過ぎ、ようやく景気の回復という言葉をちらちら見かけるようになったと思ったら、就活の前年にリーマン・ブラザーズが破綻。そういう世代。

で、この世代がウェブ上で寄り集まって「共通体験」を語るのであれば、やっぱりインターネットが中心に来る。断っておくが、この世代は狭義の「デジタルネイティブ」には当てはまらない。小学生の頃に友達に連絡を取るときは、クラスの連絡網を見て、家の電話にかけて知らないおじさん/おばさんに「○○君いますか?」って訊くドキドキ体験をしなければならなかったわけで、自分の場合は「ケータイ」を初めて持ったのは高校1年生の頃になる。ただ、インターネットとの出逢いはもっと早く経験している。Windows 95の発売が7歳の頃で、そこからじわりとTCP/IPの波が広がり始めた。その波が自分のところに行き着いたのが11歳の頃。一方、周りの友人の多くは、中学か高校進学の頃に初めて「ケータイ」を持ったのが、インターネットとの出逢い。そういう過渡期の世代。狭間の世代だ。

それは「危険だ」「怪しい」「著作権とかいろいろグレーだ」なんて言われていたインターネットが、徐々に多くの問題を内包したまま「開かれていく」過程でもあった。一部、特別な技術を持った人間しか使えなかったはずのものが、あっという間に開放されていったゼロ年代の記憶。あれは優越感を失う数年間でもあったし、自分が「引きこもって」いられた場所の崩壊でもあったように思う。

はてなでブログ書いてるこれぐらいの年代は、おそらくネットとの出会いも早い人が多かったのではなかろうか。インターネットとの邂逅を果たし、付かず離れずだったその距離が、いつの間にか世界そのものを取り込んでいったその過程を、思春期とともに経験した世代だ。そんな世代はおそらく他にない。ネットが怖かったことを知っている。その怖さが、今もなお一部では放置されていることを知っている。でもネットが楽しかったことを知っている。ネットが福音であったことを知っている。

自分にとってインターネットは「生存戦略」だった。「きっと何者にもなれない」感覚を覚えているのは、俺たちの世代の多くがそうだったように思う。たぶん、そういう話でこの世代は繋がれる。自分の人生の少なくない部分を形作ったのが「インターネット」だったからこそ、それが何者であったのか知りたいのだと思う。