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そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

エヴァンゲリオンの「終わり」

エヴァが完結した。自分がエヴァに出逢ったのは中学生の頃だから13〜14年ぐらい前のことで、あまり「20年の長期連載完結!」みたいな感慨はないのだけど、それにしても「終わった」という事実がでかい。ヤングエースの連載の方は追ってなかったので、CMで「ついに完結!最終回!」というのを見て「おおお、貞エヴァって終わりあったんだ。。。」という妙な感慨に耽ったりした記憶がある。

自分の中でエヴァは「終わりのない物語」としてカテゴライズされている。一度はTVアニメで完結したが、その後最終2話は焼き直され、映画として再びの完結を見、さらに「新劇場版」と称して、今度は「前作の続きである(ループである)」という説まで出るような展開を見せ、なおも完結を見ていない。これまでに二度の「完結」を経ているにも関わらず、その時間軸がなおも継続中であるという点において、エヴァは「終わりのない物語」になりつつある。個人的には、次回のシン・エヴァンゲリオン劇場版が本当に完結編なのかもよくわからんなと思いつつある。

エヴァに関してはこれとは別の理由で、休載を多く含む牛歩のような展開により、終わりが見えなくなってしまっていた。ベルセルクやバスタードと同じ類の諦念である(自分はどちらも読んではいないが。HUNTERに関しては「いつでも終われるよなこれ」と思ってるので、あまり完結が遠い気はしていない)。だが、単に展開が遅いだけのものであれば、いつかは終わりが来る。そして来た。旧劇場版から10年以上の空白を挟み、エヴァは三度目の完結を見た。

そしてこれは完膚なきまでに完結編だった。旧劇場版のような、イチからすべてを作り直さなくてはならない、ゼロへ回帰するような終わりではなくて、ユイの言う通り、誰もがヒトの形へと戻ることができた。使徒との物語に決着がつき、新たな世界の「旅立ち」で物語は終わる。ああ、終わるんだな、エヴァって。エヴァを10年以上追っていて、初めてこの作品の「終わり」に出会えた気分だ。

旧劇場版でのシンジは、精神世界での数多の対話の末に、他者と再び触れ合うことを望む。

僕はもう一度会いたいと思った。そのときの気持ちは、本当だと思うから。

一方で貞エヴァでのシンジは、「世界中の人たちの幸せを守る」という母との約束を思い出し、レイともう一度手をつなぐことを望む。

綾波 でも僕は それでも 君と もう一度君と 手をつなぎたいんだよ

話の展開としては同じなのだが、結論に行き着く過程は異なる。今月のCutに貞本さんのインタビューが載っているが、これを読むとこの辺りの経緯はよくわかる。貞エヴァは「親子の物語、父母の物語」として収束した。ゲンドウは望み通りユイと再会し、シンジが人類を滅ぼすだろうと告げるが、一方でユイはシンジが未来を紡ぐと告げ、シンジに対し「生きろ」と願うのだと諭す。そしてユイのことを思い出すことができたシンジは地球へと還り、ユイからいつか話に聞いていた、「雪」の中を歩き出すシーンで物語を終える。シンジもゲンドウも、旧劇場版とは比較にならない「救い」を得たこの物語は、単なるコミカライズではなくて、別物の物語として完結したと考えた方が良いのだと思う。

そういうスーパー科学者が、人類が滅びる運命と知ったらどう考えるだろう、自分の息子が生きていける世界をなんとか作ろうと運命に抗うんじゃないかと。(中略)全部を欺いた上で、自分も死んでエヴァンゲリオンの中に入って、さらにリリスの魂と戦い、この子供の未来を作ろうとした。そういう女神のような存在としてユイを捉えていたんです。 -- Cut No.349 p.57

別物の物語なので、最後の増ページについては、、、新劇場版と繋がっているとは言えないかも、しれない。でもこのタイミングで無関係な設定を出してくる意味もないし、きっとこれは貞エヴァでも新劇場版でも共通の設定なのだろうと思う。個人的には貞本さんの描くマリが久しぶりに見られた気がして眼福であった。

エヴァは、庵野エヴァからキャラクターと設定、筋書きを借りてきて、それぞれを再解釈した上で紡ぎ直した、「別物の物語」だった。細やかな感情描写や伏線の張られたこの物語が僕は好きだったし、その結末は実に満足のいくものだった。