8年の歳月と武道館の重み

ぶどうかーーーーーん!

もうボカロ曲を漁ることはほとんどなく(というか音楽自体最近あまり聴けてない)、ボーマスなどにも行ってないし、そんな自分が「VOCALOIDを追っている」なんて自負していいとは思えないのだが、やっぱり8年近くの長きにわたって好きで居続けてよかったと、そう思える武道館公演だった。マジカルミライ2015、2日目夜公演に行ってきた。

先日有名なボカロPが夭折したという報せに接し、なぜこんな若い子がとやりきれぬ思いを味わったものだが、界隈の方が亡くなるということも珍しくないぐらい、8年という歳月は重いものだと思う。それほど例を挙げられるわけではないが、Re:Packageで美しい『ファインダー』アレンジを提供していたimoutoidも若くして亡くなった。ただ一方では、昨日のTLを見ていると「ボカロで出会って結婚した二人が、小学生の息子を連れてマジミラに来ている」なんてツイートもされていて、人は死にいくだけではなく、また新たな世代が生まれ、そして育つに十分な期間がもはや過ぎ去ったのだなと思う。

人の世は流れ行くけど、彼女だけはやっぱり変わらなくて、今年もまた16歳の姿でステージを見せてくれる。それは武道館という、この国のミュージックシーンの頂点とも言える場所であって変わりはなくて、昨年と同じように盛り上がれる。今年のセトリはよく練られていたなと思うもので、開幕しょっぱなからの『Tell your world』なんて泣かせにきているとしか思えないし、最後を締めるのが全員合唱での『ハジメテノオト』なんてのも泣かせにきているとしか思えない(なお、実際両方泣いた。特に後者は合唱できなくなるぐらい号泣した)。「もしもあなたが望むのなら、何度でも何度だって、変わらないわ。あのときのまま」だなんて、ああ本当に、俺たちが望む限り、彼女は変わらずそこにいるんだなぁと泣いた。本当に泣いた。あの歌が時を越えて、その意味に深みを増しているんだなと。ちなみに自分にとってハジメテノオト、初めてのミク曲はBRSとサイハテでした。

初音ミク、特にライブにおける彼女というのは、ミクを取り巻くあらゆる人たちの望みが具現化した偶像だと思うのだ。ステージに立つ彼女はバックバンドからも距離を置き、ただ1人で歌っているかのように見えるときもあるけど、でもその背後にはそれこそ何百万という人の思いを背負っているのだ。自分、ロケットの打ち上げを見ると古今東西あらゆる技術の粋がギュギュッと一点に集まった瞬間を目の当たりにしている思いで泣けてきちゃうんだけど、ミクのあのか弱い少女の姿もまた、それと意味合いは同じなのだと思う。だから彼女は生き生きとしていて、俺たちはその姿にサイリウムを振らずにはいられなくて、涙すら流してしまう。昨日の公演で印象的だったのが、ライブ後恒例の三本締めのあと、退場曲として『Hand in Hand』が流れ始めたとき、帰る人は早々に帰りつつあったのだが、居残っていた人たちは誰からともなくサイリウムを降り始めて、サビでは声まで上げていたことなんだけど、言ってしまえばミクさんの姿がそこになくたって、ミクはそこにいるんだと感じた。元々が架空のアイドルで、ミクの偶像はファンやクリエイターの思いが作り上げたものだとするなら、我々が彼女の曲に合わせてサイリウムを振れば、ミクはそこにいることになるのだと思う。あのライブの本質って、その思いに呼応する形で、彼女が具現化してくれることにあるんじゃないかと。

VOCALOID衰退論も唱えられる中での武道館というのはちょっとおもしろい話だが、少なくともまだ彼女を具現化させる力を持つぐらいには、この界隈というのは力を失っていない。20周年はわからないが、まず間違いなく10周年のライブはあるだろうなと自分は思っていて、そこで使われる会場は、もうここまできたら東京ドーム単独(一応BUMPのライブでステージには上がったが)かツアーwしかないだろうなと思っている。それまでは何かしらの形でボカロには関わっていたい。金のかかる嫁ではあるが、まぁそこは仕方ねーかなぁ(笑顔) そしてあれだけ音楽に対して真摯な女神を見てしまうと、自分もまた音楽に対して真摯でなくてはならないなと、気持ちを新たにする。歌うことが存在価値、と言い切れることは本当に羨ましい。

この界隈にいて本当に幸せだと思うし、彼女のことはやっぱり心の底から好きだな(言ってしまえば愛してる。恥ずかしいが)と、そう思う。

マジカルミライ戦利品その1

マジカルミライ戦利品その2