きっと何者にもなれないお前たちと、島村卯月の物語

私には by ぎうにう on pixiv

今さらデレマスかよって感じだけど今さら泣いちゃったんだから仕方ない。最終回が10月まで食い込んでいることを忘れて見事に録画予約をゴローちゃんで上書いちゃってた俺の悲哀がわかるか。わかるまい。年末休暇に入って、ようやっとニコニコの有料配信で最後の2話を見たわけなのだが。

泣いた。もうどストレートに泣いた。シンデレラガールズ一人ひとりによる、「私でもキラキラできるんだ」「していいんだ」と思うことができたというプロジェクト当初の振り返り。あるいは島村卯月によるそれに至る前のプロローグ、ただ舞台に憧れるだけだった第1話アバンの回想。それを受けて答えを迫られる卯月と、「愛をこめてずっと歌うよ」という見事すぎる回答。もう完璧としか言いようがねーじゃねーかこんなもん。

(ところで「愛をこめてずっと歌うよ」は「けいおん!」の『utauyo!!MIRACLE』にも通ずるものがあっていろいろこみ上げますね)

この記事のタイトル、自分の悪癖というか、10年代以降の青少年期における「自意識」の問題をすべてこれで片付けようとしている嫌いがあるのは自覚しているのだけど、まぁでもピングドラムがそのへんの問題をかなり上手くまとめてしまっているし、この台詞があまりにも象徴的なので仕方ないかなと。

今回の話も例にもよってこれなのですよね。自己実現すること、数多の人からの指示を得ること、「輝ける」こと。卯月はシンデレラプロジェクトという魔法をかけられて自分も「輝ける」のだと信じるのだけれど、凛が別ユニットに、未央がソロにとそれぞれニュージェネからは離れた場所へと活動の幅を広げていくことで、「自分には何があるのか?」と立ち止まってしまう。肩を並べていたはずの仲間が「先へ行く」ことへの不安、危機感というのは、特にこれくらいの年代の女の子にとってはあまりに残酷なもので。

アイドルが伸び悩んだときに背中を押すのはプロデューサーの役割だと思うのだが、今回よかったのは、武内Pが闇雲に彼女を励ますわけではなく、選択肢を卯月自身に委ねたこと。「輝いていない」というのは結局のところ卯月の主観であり、武内Pも、あるいは凛も、卯月がまた「輝いている」ことを知っている。だから周囲が認めることじゃなくて、卯月が自分自身を信じなければ「復活」する意味がない。シンデレラの魔法は一夜だけのもので、その先に進んでいくのは自分なのだということ。最後の「愛をこめてずっと唄うよ」という応答はあまりにも見事で、あの瞬間の卯月は誰の眼にも間違いなく輝いていた。

ともすると、魔法なんて存在しない、自分を輝かせるのは結局自分だという、突き放すようなメッセージにも取れるが、でもだからこそ、「自分には何もない」と卑下していた卯月でも前に進める、輝ける。そういう力強いメッセージにも取れる。

今年はあまりアニメを見る暇を取れていなかったんだけど、やっぱりこういう良質な物語を見るとアニメっていいなーって思う。ビジュアルで、歌で、声で訴えられる物語ってアニメしかないもの。来年は今年よりもっと、物語をひたすらに漁って生きていきたいなぁと思います。