『マルドゥック・アノニマス』――加速した物語の行き着く先

『マルドゥック・アノニマス』の発売が告知されたのは、偶然にも自分が『ヴェロシティ』1巻を読んでいるときだった。このタイミングでなぜヴェロシティ?ではあるが、自分としては数年前にスクランブルを読み、紛れもない名作であるということは理解していたものの、その後スクランブルの印象からボイルドの過去を読みたいか?と問われると実際あまり食指が動かず、ずるずると心の積読と化していたわけで。結局読むきっかけとなったのは、昨年の冲方逮捕騒動。これで回収にでもなったらたまらんと慌てて買い込み、今年になって封を切ったという具合だった。結局騒ぎはその後何事もないかのように沈静化しているが。

ヴェロシティを読み、自分のなかでのマルドゥックシリーズへの評価は一気に上がった。あらかじめ断ると、この記事はヴェロシティまでネタバレあり、アノニマスはネタバレなしで書かせてもらうが、とにかくこのシリーズはヴェロシティを読まなければ始まらない。最も知名度のあるスクランブルだけで満足していてはシリーズの魅力を半分も理解できないのではないか。このシリーズと似た構成で彷彿とするのがスターウォーズなわけだが、いずれも時間軸としては中間にあたる物語が初期の三部作として登場し、その後初期三部作で敵役であった人物の意外な過去、真相が第二の三部作で明かされている。ただ初期三部作の時点ですでに結果がわかっており、単に悪堕ちするだけのアナキン・スカイウォーカーと異なり、ボイルドのそれは我々の予想を裏切る結末であり、彼の死は孤独(シザースがいるので孤独じゃないのかもしれないが)でありながら、大きな意志をもって遂げられる。このボイルドの真相を知ることにより、スクランブルの価値がぐるりと逆転する様がなんとも言えず素晴らしかった。ヴェロシティ2巻まではゆるゆると読んでいたが、3巻から止まらなくなり、読書スピードが数倍上がったぐらいだ。

さて、アノニマス。前作からしばらく間を空けて、未来を描く新三部作が登場するというのもスターウォーズっぽい(しかもタイミングもほぼ同じ)が、ここまでの6作を通じて登場してきた中心人物=アナキン=ボイルドが失われているという点でもまた同じ。まぁアナキンがいないところでスターウォーズの魅力に何か影響があるとは個人的には思わないのだが、ボイルドは存在こそ消失したが、ヴェロシティまでで彼の存在理由がすべて果たされたとも到底思えない。ナタリアとの間に生まれた「女王」率いるシザースのその後、結局のところ健在であろうオクトーバー社の顛末、シザースを除けば唯一真相に近い「楽園」の存在。そういったもろもろの伏線を解消し、見事な結末を見せてくれはしないかと、自然と期待は高まってしまう。

アノニマススクランブルの延長線上に想像できるマルドゥック市の「その後」として、世界観としてとても完成されていた。これまでの魅力的なキャラクターたちが失われた後、新たな人物たちに愛着が持てるかについて最も心配してはいたが、その点はさすがにマルドゥックシリーズ、今回も一筋縄ではいかぬ、忘れられないキャラクターが大勢出てくるので杞憂に終わった。しかし正直に言うと物足りない点があるのも確かではあって、ヴェロシティで一気に加速した、さながら少年漫画のような「能力バトル」展開もさらに磨きがかかっているのだが、カトル・カールの鮮烈な印象がまだ残っているためか、彼らとの戦闘におけるおぞましいまでの視覚表現に比べると、興奮の度合いが下がってしまうのは致し方ないところではあった。まぁまだ1巻目、ここからカトル・カール並みのドンパチやられたら最後は誰も生き残れなくなりそうなので、この点は今後を期待したい。スクランブルのカジノ戦のような変化球も大歓迎。

なにより気にかかるのは、これが帯や書籍紹介でもすでに謳われている通り、「ウフコックの死」を到達点とした物語だということ。ヴェロシティもバッドエンドへ「墜落」していく物語だと承知の上で読むのがつらかったが、果たしてウフコックの死というのがヴェロシティのような虚無感のある結末となるのか、なんらかの救いのあるものとなるのか。願わくばボイルドと同じ場所へ。彼の軌跡を理解し、その後を追える死であればなと。おそらく数年がかりの旅路になるのであろうが、期待と不安の入り交じる最終三部作第1巻である。