砂の惑星を歩き続けて随分経った

まとまらない感想というか、思いのようなものを走り書きます。まとまってなくてもいいから、取りあえず今このときに書くしかねーなこれはという感じがしたので。

VOCALOIDの楽曲を意識的には聴かなくなってだいぶ経ちます。学生の頃は毎日のようにはてブ経由で曲を漁ったり、ランキング動画を見たり、足繁くボーマスに通ったりもしていたのですが、徐々に音楽の好みが分散していき、また趣味も分散していき、ボカロ単体に対してかける時間が少なくなり、「ボカロだけを漁る」ということはもう長らくしていません。

ただ、自分の音楽的嗜好にはずっとボカロは入ったままです。偶然耳に入った曲を探して聴き続けたりもしますし、今棚にある一番新しいボカロCDはナユタン星人だったり。ボカロだからと特別視して漁るのではなくて、他の音楽とフラットな選択肢の1つになってしまったというべきか。インストだとちょっと寂しいけど、人間の声が入ってしまうとエモすぎるというワガママなリクエストをしたいときに、ボカロってやっぱすっと入ってくれるんですよね。仕事中とか結構ちょうどよくて。


ハチ MV「砂の惑星 feat.初音ミク」

砂の惑星。ボカロと付かず離れずの位置にいる自分にとって、この曲は少し寂しいような、身につまされるような、そんな曲でした。最初に聴いたときは結構ショックだったんですよ。「あとは誰かが勝手にどうぞ」っていうフレーズがなんともぶん投げられてしまったなという印象を持ってしまって。10年経ったし一緒に祝おうぜってときに「勝手にどうぞ」ですよ。なかなか出ないですよ、この歌詞は。曲調もこれまでのマジカルミライテーマソングからはだいぶ異質で、まぁある意味ハチらしいといえばハチらしい。一方で自分もボカロからは徐々に離れてはいたので、ここを砂地にした一端を担っていたのかもしれないなぁとも思ったり。

Twitterではこの曲、歌詞、MVの解釈を巡ってああでもないこうでもないという話が飛び交っていて、こんな雰囲気はいつ以来だろうとちょっと懐かしくなりました。黎明期では『サイハテ』なんかも様々な解釈が生まれて議論されてましたよね。そして誰も別に、我らの立っているところが「砂」であると言われて怒ったりdisったりするのではなくて、冷静に正面からこの曲を受け止めているのが、この界隈に片手だけでもまだ残っていてよかったなぁと思ったりしました。私、初音ミク自体もそうだけど、このクラスタの空気も好きなんですよ。これだけ大規模なのにそれほど大きな問題はこれまでになくて、過激な意見も特になく、比較的冷静かつ客観的な議論が進みやすいので。イベントでも厄介なこととか目にしたことないですしね。ああ、高齢ファンが多いからなんですかね()

んで、ここは砂の惑星なんでしょうか。まずそもそもにして、米津玄師は別にボカロに対して悪感情はないのだろうと思います。今年の春頃にTwitterで「ハチとして」の発言があり、彼の今ボカロに対して考えていることが垣間見えたりするわけですが。彼の言う玉石混交であるというのは、「砂」という表現に呼応しなくもない。だからこのメッセージは、曲がりなりにもハチから米津玄師へと変わっていった、現時点においてはクラスタの外にいる彼から、古巣に対してのエールのようなものであり、精一杯の言祝ぎなんですよね、おそらく。

togetter.com

枯れて砂になったと言ってしまうには思ったよりは保っているというか、自分のボカロに対する立ち位置と同じように、ボカロクラスタ全体としても、熱狂は去り、コアなファンがずっと残り続けている、というような状態が維持されている気がします。仮にも幕張メッセを3DAYSで埋めるぐらいなので。自分としては別にブームの再来とかそんなのはどうでもよくて、きっとVOCALOIDというソフトウェアは、これからも音楽制作においては求められていくのだろうし、また初音ミクというキャラクターの独り歩きも、おそらくそう簡単には止められないだろうと思っています。彼女はもう、ただアマチュアの音楽が曲を吹き込む、『ODDS&ENDS』で描かれたような「僕にとっての救い」というミクロな存在ではなくなりつつあるのと同時に、今なおどこかで歌を歌わされ続けてもいるわけですよね。

砂。それほど悪いものではないのかもしれません。元々はまさに砂上の楼閣のような、先がどうなるかもわからないあやふやな存在だった彼女です。それがあれよあれよと大きくなり、いつの間にか立派な「砂の城」が出来ていました。綺麗な惑星にしてきたつもりだったけど、もしかしたらずっと砂まみれだったのかもしれないし、一時は大樹を育てることに成功していたけど、今は見る影もないのかもしれない。そこは人によって評価は分かれるだろうし、なんだろう、もう10年定着してしまった以上、今更ブームが終わる終わらないとか、そういうのはどうでもいいんじゃないかなとすら思います。

まぁどちらにしたって自分は界隈に対しては一消費者でしかなくて、それも以前ほど熱心ではなくなってしまった、そこまで良いお客さんというわけではないのですが、それでも彼女が10年間、自分に数多の音楽との出会いを与え続けてくれたことには深く感謝しているのです。だからここが砂場であろうが何であろうが、祭り祝うべきときには全力で踊るしかないのです。いろんな人が去り、いろんなことがあったこの砂の惑星ですが、踊るだけの価値はまだあるとは思っています。