内藤泰弘『血界戦線』 - Hello, world !

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今更ながら、アニメ『血界戦線』第1期を Amazon Prime ビデオで見終えた。春ぐらいからチビチビと、チビチビと、終わらせたくない思いで少しずつ楽しんでいたけど、ようやく見終えた。これはここ数年で最高のアニメだった。自分にとって。

自分の好きな作品類型の一つに「一流の使い手たちがド派手なバカ騒ぎを繰り広げるケレン味溢れるアクション作品群」という謎なものがあって。類例を挙げると平野耕太作品、あるいはアニメ『サムライチャンプルー』、映画『キングスマン』と言えばピンと来るだろうか。決めるところを決めれば最高にクールでシリアスで敵なしなのに、ひたすらバカみたいに暴れるので画面はめちゃくちゃ派手で、紙くずみたいに敵も味方も死んでいくけどテンション爆アゲになれるみたいなやつ。読んだことはないけれど、おそらく『BLACK LAGOON』も好きだろうと想像している。この手の作品が好きなのは、生と死が隣り合っている故に「生の実感」をこれ以上無く感じられるという状況で、ひたすら全力で騒ぐことで、さらに「生」というものを鼓舞しているような力強さがあるからなんだと思う。それをシリアルになりきらず、ノリと勢いで押し通すのがカッコよい。

血界戦線』はその類型における、おそらく自分の中で最高峰の理想たる作品である、現時点で。舞台は異界に飲み込まれて消滅した旧紐育ことヘルサレムズ・ロット。そこでは異界からやってきた超常的な種族たちと、超常的な現象と、超人的な能力を使う人間たちとが入り乱れ、一歩間違えれば人類滅亡世界終了みたいな異常な日常が繰り広げられる。そんなお祭り騒ぎは作中からすれば笑い事では済まなかったりもするのだが、ほとんどはシリアスではなくほぼギャグのノリで乗り切り、襲いかかるピンチは技名をページいっぱいにデカデカとブチ抜きながら、必殺技の数々で潜り抜けていく(内藤泰弘曰く、「技名を叫んでから殴る漫画」である)。主人公、というか狂言回し的立ち位置のレオは、異界との不意の交流から妹の視力を奪われ、代わりに自身が誰もに羨まれるような能力を手に入れてしまったことにより、妹を治す手段を見つけるべく、戦闘能力皆無の身でありながらヘルサレムズ・ロットに乗り込んできて、秘密結社ライブラの一員として日夜世界の危機を救うために奔走する。悲痛な覚悟と過去を持っているけれど、それ故に悲痛さとかけ離れたオチャラケた日常も、数多の命の遣り取りを繰り広げる戦闘も、実に活き活きとしたものに感じられてくる。

そしてこの作品で何より特筆するべきは、非常に恵まれたアニメ化が成されたことだと思う。素晴らしすぎて拍手喝采したくなる、100点満点のアニメ化だと言ってしまいたい。それは単なる動きがよい、絵がよいということに留まらない。例えば声優陣。主要キャラで唯一の一般人であり、そのためツッコミ役にも相当するレオが阪口大助、見た目は怖い大男だが、心は優しいライブラのリーダーが小山力也、刀遣いのチンピラが中井和哉などなど、まぁそりゃそうだよなというドンピシャのキャスティングをこれでもかと揃えている。表裏のあるスカーフェイスの優男に宮本充、何を考えているのかわからない、片手間に世界を滅ぼそうとする厄介な敵役「堕落王」に石田彰まで引っ張ってきたのは本当に偉い。声優だけでいくらかけているのだろう。

第1期はアニメオリジナル要素を交えて、その終盤における展開も原作にはないそれだが、筋書きが力不足になることはなく、むしろ全体を統一感のある形でまとめあげている手腕に舌を巻く。OPEDからして格別の出来で、いずれも作品の空気感をすごくよく表している。

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OPのBUMP OF CHICKEN『Hello, world !』で言えば、ヘルサレムズ・ロットに外からやってきたレオが、ライブラの超人的な面々の「必殺技」に翻弄されるような周回カット、そして彼がやってきたそこが、遊園地のような綺羅びやかなメタファーで表されるのがグッとくる。そこは生きるか死ぬか、どちらかと言えば戦場に近い場所ですらあるはずなのに、OPにおけるこの表現は、そこで懸命に生きる生への祝福と、すべてを楽しんでやろうという度量が満ちていて、この作品のコンセプトそのもののようにも見える。

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EDのUNISON SQUARE GARDENシュガーソングとビターステップ』も同様に、正装でダンスパーティーを繰り広げるライブラという一連の流れと、端々に挟まれる血や涙のカットが、喜びと哀しみのほど良い緊張感を醸している。UNISONは2期でもOPで『fake town baby』を提供しているが、華やかさを持った『シュガーソング』の方が個人的には好みだ。見方によっては、 OP におけるレオは物語序盤のヘルサレムズ・ロットにやってきたばかりの頃、まだ1人で周囲に翻弄されていた頃のそれであり、ED でライブラの面々と一緒になって踊る彼は、その後ヘルサレムズ・ロットの一員として成長した姿にも見える。まぁ「超天変地異みたいな狂騒にも慣れて こんな日常を平和と見間違う」という歌詞を鑑みても、おそらくそうなのだろう。物語を踏まえて書かれたと思われる、この歌詞がまたなんとも素晴らしい。

これら遊園地とパーティーというメタファは、そのままそっくり最終盤のオリジナル展開に持ち込まれる。最終回の時間軸は(偶然、今の現実世界とも一致するが)ハロウィーンに設定され、悪霊が跋扈する祭りであるその日に異界と現実とを隔てる結界が壊されるという、絶望王曰く「ちょっと洒落が効きすぎている」事態に陥る。また第10話では、遊園地のカットがそっくりと挿入されている。特にこの暗闇や霧の中で光がまばゆく輝いているような表現は、他にも随所で見られ、おそらく自覚的に入れているのではないかと思う。絶望と隣合わせの世界に、光あれ、というような意味合いで。

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アニメが準備した終盤の展開は、正直言えばちょっと行き過ぎにも思う。そのクライマックスでレオが口にするのは、第1話で彼がまだ何も出来ない状態にあったとき、彼を迎え入れてくれたボスであるクラウスの台詞だ。これを背負うには、まだちょっとレオは早いのではないかという、くすぐったさはあった。

光に向かって一歩でも進もうとしている限り、人間の魂が真に敗北することなど、断じて無い!

でも、アニメスタッフがこの台詞をレオに背負わせたかった背景はよくわかる。レオの、この物語における始まりは、自らの勇気がなかったばかりに妹の視力を犠牲にしてしまったという悔恨だ。卑怯者と自分を蔑み、何も出来ない無力さを嘆いていた少年が、「手始めに」世界を救うところから、この物語は始まる。超人的な能力や、常識はずれの現象が跋扈するパーティーのような街の真ん中で、何より重要なのは「諦めず希望を模索し続ける」というシンプルな人間の矜持であり、それが世界や人類を救うこともあるのだという、そういう物語だ。いくつかの事件を経たあとで、レオが最終回において直面したのは、自分と同じ境遇の兄弟、異界との邂逅を経て、その身を差し出した者と、差し出すことができず立ちすくんでいた者とが抱く絶望だ。自分と同様の立ち位置にいる者をすくい上げるのであれば、自分をすくい上げてくれた人がしたことを、自分もまた誰かに与えてやればいい。レオが与えられる存在から、与える存在になったところで、物語は幕を閉じる。ここで物語は、実に綺麗な循環を見せている。この最終回のサブタイトルが「Hello, world !」なのはなんとも憎いし、呼応する BUMP OF CHICKEN が書いた歌詞もマッチしすぎている。

ご自分だけが ヒーロー 世界の真ん中で 終わるまで 出突っ張り ステージの上 どうしよう 空っぽのふりも出来ない ハローどうも 僕はここ

アニメの1クールという区切りを単なる慣習上のものとして扱わず、その限られた枠で完成された作品を作り上げようという意識が随所に見られる、見事な全12話だった。OP、ED、そしてアニメオリジナル脚本という、アニメスタッフが自由な裁量を振るえる場所をフルに活用して、原作半ばまでのアニメ化でありながら、完結した物語として完成度高く仕上がっている。見終えるのが本当に、本当にもったいないと思えるような作品に出会えるのは幸せだ。

血界戦線 Blu-ray BOX

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