the world was not enough

物語偏愛者の詭弁と戯言

『SSSS.GRIDMAN』 - 君を退屈から救いに来たんだ

Image from Gyazo

以前に書いた通り、 自分は電光超人グリッドマンをリアルタイムでは見ていなかった んだけど、それでも楽しめる作品だったというか、グリッドマンに限らず、かつて特撮ヒーローに憧れて、日常が塗り変わる光景を夢描いたすべての人たちに送られるような、そういうアニメだったなぁと思う。ずっと追いかけながら、常々いいアニメだと思ってはきたけれど、最終回を迎えてみてこれほど心を揺さぶられるとは予想できていなかった。OxT が手掛けた主題歌『UNION』の「君を退屈から救いに来たんだ」というのは、かつて特撮に胸焦がしたりしていたのに、いまは日常に辟易している大人たちに対して、グリッドマンが再び退屈を壊しにやってきたよ、っていうメタメッセージなのかもしれないなぁ、まぁでもそれはさすがに考え過ぎかもしれないなぁとか思っていたら、オーイシお兄さんもそのことに言及してくれてるのに気付いてすごく嬉しかった。

『UNION』が本当にいいんですよ。ずっと Spotify にあるテレビサイズを聴きながら、深夜アニメというか特撮 OP らしさがきちんとあって、日曜の早朝に掛けても違和感がない爽やかさだとは思っていたんだけど、最終回終わった今更になってフル版を iTunes で買って、昨日電車乗って車窓から街並みを眺めつつヘビロテしてたら最終回のあれやこれやと重なり、徐々に胸へこみ上げるものが強くなってきて、あーやべー泣くじゃん、クリスマスにこんなとこで泣いてたら完全にフラれた人じゃんとか思いながら鼻すすりつつ歩く羽目になったりしたんですが。1番だけ聴いてると、この歌はアカネの歌かなと思ってたんですよ。僕らの世界が何者かに侵略されている、というのは、アカネが作った世界がグリッドマンの介入を受けているそれを指していて、サビの最後に「退屈から救いに来たんだ」はグリッドマン(同盟)からアカネへのそれなのかなと。でも2番を聴くとこれは内海のそれかなと思い始めて。ヒーローになれやしない、主人公は響がやるでしょってのは、終盤の内海じゃないですか。そしてグリッドマンと出会ってから、先陣切って同盟を結んで、ヒーローとしての活動を進めようとした、つまり日常への反旗を翻したのも内海じゃないですか。

Image from Gyazo

内海という存在は、あの中で唯一の一般人というか、もっとも偶然性が強い役どころだったわけで。グリッドマンに選ばれた響でもなければ、アカネに選ばれた六花でもない。たまたま響の友だちだったっていう、それだけで、自分自身は何かを出来るとは思えていなくて、それが終盤の鬱屈に繋がっていたわけで。ただ、その立ち位置って要するに我々なんですよね。主人公でもヒーローでもない。でも、目の前にある世界がかけがえのないものだということは、子どもの頃から大人になっても変わっていない。だから、あの頃のように同盟を組んで、退屈な日常に反旗を翻そう。それは別にヒーローじゃなくても出来ることなんだよ、と。そう考えると、あれは内海の歌で、だから我々の歌に思える。なんてこと考えてたら、まぁ泣けちゃうんですよね、すごく。ああ、あの日のヒーローが戻ってきてくれたんだって。SSSS.GRIDMAN は、大人のための、かつて「少年」だった者たちのためのヒーローだと思う。

しかし良い最終回だった。驚くほど綺麗に、様々な伏線やキャラクターがきちんと拾われた最終回だった。新条アカネがきちんと救われたことも、ヒーローの力を得たものが、その力と別れる日が来るということも、特撮版のグリッドマンが「真の姿」として満を持して現れることも。サブタイトルの「覚醒」は色んな意味に取れて、グリッドマンが真の力に覚醒するということでもあり、アンチが新たな生を覚醒することでもあり、最後の驚かされた実写シーン、現実の世界での文字通りの「覚醒」でもある。実写のシーンは驚いたけれど、ストーリーの終着点としても、実写特撮から始まった作品の、アニメ化後の帰結としてもマッチしていて、まぁ本当に綺麗でしたね、いろいろと。

Image from Gyazo

実写を挟む演出もその一端であるという指摘を見かけたけれど、 SSSS.GRIDMAN はところどころにエヴァンゲリオンをオマージュしたと思われるシーンを挟んでいる。これはグリッドマンに特有というより、GAINAX とのつながりがある TRIGGER 作品全般で見られるものではあるけれど、エヴァウルトラマンを祖に持つということで、そういう別の面での意識もあったのではないかなとは思う。最終回、自分の部屋に閉じこもり、外に出るのは無理だと泣くアカネを、様々な人々が「他人と触れ合う」ことを勧め、外に出ようと諭すシーンなんてそのまんまエヴァンゲリオンじゃないですか。ただ、エヴァの最後はそれでも世界が滅んでしまったし、他人と「もう一度会いたい」と思い、 LCL の海から抜け出たシンジを、結局迎えてくれた他人はアスカだけだった(その後新劇場版に続いてなおも決着が着いていない、とも言えるが)。それと比して、アカネは六花に、そして他の多くの人に本当の意味で受け入れられて、世界が修復されたというのは、これはまったくの個人ごとではあるけれど、エヴァにとらわれてきた自分にとって、少し救いでもあった。他人と相容れないこともあるかもしれないけれど、大丈夫。独りじゃない。エヴァが20年前に発しながらも、エヴァの中ではきちんとした帰結をいまだ見ていないそのメッセージを、 TRIGGER が改めて形にしてくれたというのは、それが実際どこまでエヴァを意識したのかはわからないけれど、なんかようやく一つ、決着を見られたのかなぁという思いもあった。特撮作品に端を欲するヒット作品を持った GAINAX 、そしてその GAINAX にルーツがあり、 GAINAX オマージュとも言える演出やストーリーも繰り返してきた TRIGGER。庵野秀明が関わった「日本アニメ(ーター)見本市」での企画から始まっているグリッドマンのアニメ化。そういった作品同士の繋がりやルーツを考えると、この作品は TRIGGER だからこそ担えた、 TRIGGER が担うべきだったものでもあり、 GAINAX の影をずっと担ってもきていた同社の作品が、一つ大きな転換点を迎えた意味もあったように思う。

SSSS.GRIDMAN は救いでした。それは子どものころヒーローに憧れた自分にとって、退屈から抜け出すための、特撮ヒーローという存在が、自分にとって何だったのかを思い出すための救いだった。そしてエヴァを始めとする GAINAX のアニメが好きで、その繋がりで TRIGGER のアニメを見てきた自分にとっての救いだった。TRIGGER というアニメスタジオが特撮作品を扱った上で、これ以上ない回答と言える作品だったのではないでしょうか。