疑似科学は過去に失われた命を冒涜する

喘息に対するステロイド治療を否定するホメオパシー - NATROMの日記

このエントリーを読んで漫画『ONE PIECE』を連想したので、どういうことか、ちょっとメモ書き程度にまとめておきます。

連想したのは31巻に収録されたノーランドとカルガラのエピソード。要約は下手なんですが、知らない人のために話の内容を簡単に*1

ある国の医者・ノーランドが乗った船が、嵐の中で偶然に未開の島に到着する。その島では死に至る伝染病が蔓延していることが発覚。ノーランドらが集落に赴くと、島の先住民らは病を「呪い」と解釈して神(大蛇)に生け贄を捧げようとしている最中だった。ノーランドの国ではその病の治療法が確立されていたので、ノーランドは生け贄を食わんばかりだった神をやむを得ず殺害、病気の治療を申し出る。島のリーダー的存在のカルガラはこれに反発。神殺しを指弾してノーランドの言葉に耳を貸さない。

と、こんな感じ。疑似科学と宗教的儀式という点などで違いはありますが、

  • 非現実的な手段で現実の病を治そうと本気で思っている
  • その手段を行使するために、第三者から提示された現実的手段を破棄している

の2カ所がNATROMさんの記事の事例と被っています。

当然ながらまったく同じ事例ではないです。単に似ているというだけ。ここで「神を殺したノーランドはさすがにマズイ」という指摘もあるでしょうし、それも最もかと思います。ただ、類似した事例を探すってことは、物事の理解を深めるのには有効な手立てです。

この後の展開としては、ノーランドが最終的にカルガラを説得して、彼の治療法で島の病を治します。そのときに彼が述べたのは、「島の儀式を続け、医療の『進歩』を受け付けないという行為は、病の治療法を確立するために奔走し、死んでいった先人たちに対する冒涜である」ということでした。

これは疑似科学批判としても適切な論理です。NATROMさんの記事の事例でいえば、吸入ステロイドによる喘息治療が完成されるまでには幾多の失敗があったでしょうし、それまでに喘息で失われた命は数知れません。なるほど、ステロイド治療の否定はそういった努力や犠牲に対する冒涜と言ってもいいかもしれない。

科学的根拠の乏しい代替療法であっても、安価で安全でさえあれば、感冒などの自然治癒する病気や、逆に末期癌のような積極的な治療手段のない病気に(緩和ケアと併用しつつ)使用するのは、私は必ずしも否定しない。しかし、他の有効な治療法の妨げになるようであれば、許容できない。気管支喘息は、適切に治療しなければ死にうる病気である。気管支喘息について、標準的医療を否定し、根拠の乏しい代替療法を勧めるのは殺人に相当する行為である。

治るとわかっている病を「呪い」に置き換え、儀式によって「治療」しようというのも、同じく殺人に相当する行為。ノーランドがカルガラに最後に言い放った台詞は、「(お前は)そんなに神が怖いのか」というものでした。

両者の事例を照らし合わせることで、マンガの台詞の意味を一層理解できましたし、疑似科学に対する認識も少々変わりました。マンガといえど、あなどれないなー。

*1:手元に単行本がないので、以下細部でいろいろ違うかも。