スマートフォンは要らないと気付けた人は、まだ幸運な方ではないのか

友人知人に「オススメのスマートフォンある?」って訊かれる度に「ガラケーでよくね?」と言ってるぐらい、今のブームには辟易しているのだけど、実際買ってみて、これは自分には不要なものだと気づくことができた人は、まだ恵まれてる方じゃないかって気がしてる。

一番怖いのは、何も知らずにスマートフォンを買い、そのままずぶずぶとハマって、ネットジャンキーになっていくことじゃないのか、と。

元々スマートフォンなんてのはギークのおもちゃか、ガチガチのビジネスマンあたりが買うものでしかなかった。そういう人じゃないと使いこなせない機能がいっぱいあったわけだし、そういう人にしか必要のない機能もいっぱいあった。iPhone3GSが出るあたりまではずっとそんな感じだったわけで、iPhoneも最初からこれだけの人気を得ていたわけじゃなかった。

その頃のスマートフォン使いは、スマートフォンが何のためにあるもので、それを使う自分が何者であるのかを自覚していた。常にPCライクなインターネット体験をできる環境が欲しいのか、ノートPCがなくとも出先でOfficeファイルを開きたかったのか。スマートフォンって、その実使いづらいところは多々あるものだし、ネットに常につながってたところで廃人になる以外の道はないのだけど、それをわかっててあえて買うのであれば、誰も不幸にならなかった。

でも、今は状況が違う。今スマートフォンを買っている人たちのなかには、それが何のためにあるのか、あまりわかっていない人が大勢いる。でも少なくない人たちが、それほど膨大なアプリは自分には必要ないのだと、途中で気づき始めている。一方で、暇をもてあませば常に端末とにらめっこする日常を手に入れてしまった人たちもたくさんいる。

自分がネット漬けだから言うんだけど、今のインターネットがそれほどいいものだとは僕には思えない。通勤中にスマホを見て過ごすくらいなら、読書してた方がマシな人生送れるんじゃないかって思ってる。ウェブはバカと暇人のものだって誰かが言ってたけど、たしかにその通りで、こんなものはある意味酒やタバコ並みにたちが悪いんじゃないかとまで思っている*1。蕎麦屋でほかほかの美味しい蕎麦が冷めて、延びていくのを構うことなく、写真を撮ってSNSに上げてる人を見かけたとき、なんだか無性にやるせなくなった。

だから僕には、孫正義が何をしたかったのかがわからない。かつては赤い紙袋を、今は白と黒の四角い端末を、何もわからぬ人たちに安値でバラまいて、彼は一体何がしたいのか。その結果出来上がったのは、140字で自分の素姓を世界に晒し、電車の中で誰もがうつむいて過ごしているような、実にディストピア的な世界なんじゃないのか。

スマートフォンが不要だってことに、もっと多くの人が気付くべきだと思う。

*1:別に酒とかタバコを真っ向否定もしないけど。これらも「わかってて」やるんだったら全然いいと思う。