『たまこまーけっと』と、祈りとしての物語

今季は前期からの2クールアニメを多く観ていることもあって、新しいアニメは『たまこまーけっと』しか観ていないんだけど、これがわりと面白くって、思わず特集号のCutを買ってしまった。 というかぶっちゃけると表紙買いですサーセンって話でもあるが。

この中で山田監督と吉田玲子さんが共通で話してたのが、「世界を肯定したい」という話。

  • もともとは斜に構えたところもあるし、ものごとを否定的に見やすい性格をしていると思っていて。そこには『舐められないように』っていう思いもあると思うし、『人生こんなに甘いわけない』とかいろいろあって。だけど、いざ自分の手を通して出すものとなると、核の部分の、ほんとはもっとこういう世界が欲しいっていう、自分が憧れている世界が出てしまうんだと思うんです。(p.12 山田尚子
  • 世界を肯定したいという、わたしもどっちかというと憧れとか願いとか祈りとか、そういうものを込めて作品を作っていきたいなっていう気持ちはあって。(p.18 吉田玲子)

この作品、世間的な評価はあんまりパッとしてない気がするんだけど、僕が好きで見てるのがまさにこの「肯定」が前面に出てきているからなんだなーと思いまして。実際この作品、4話まで見ててもネガティブの要素ってのがほとんど廃されてて、徹底して日常の肯定、ありきたりでベタな物語を全力で綴ることに注力されている。まぁベタなんですよ、物語は。商店街盛り上げるとか、照れ性の女の子が頑張って「ありがとう」の一言を言うとまでとか。

このベタさを嫌う人、臭いと思ってしまう人も多いとは思う。それは加減の問題であり、山田監督が「肯定の物語」を創っていく上でまだ詰めが甘いところなのかもしれない。でも僕は、今の深夜アニメ界でここまでベタな物語を丁寧に描けること自体が気に入ってる。だからこそ、ありのままの日常を肯定することにつながるわけだし。表情の変化とか、少し過剰なまでの演出とか、いわゆる「京アニクオリティ」があってこそ成り立つ「全力の肯定」が『たまこまーけっと』なんだと僕は思う。

「物語は祈り」というフレーズ

Cutのインタビューの中に「物語は祈り」というフレーズが出てくるんだけど、これと全く同じ言葉を使ってるのが舞城王太郎の『好き好き大好き超愛してる。

愛情と物語は、ひょっとしたら同じものなのかもしれない。そう、愛とは祈りで、物語も祈りだ。

この作品自体はそこまで好きではないんだが、このフレーズと考え方はたまらなく好き。過去、というか現実を受けて、何かを願い、祈る思いが紡がれた末に物語が出来上がるという。もちろん現実をただ活写することも物語に成り得るんだけど、最近の自分に合うのはこういう「祈りとしての物語」だったりする。

そういう系列で好きなのが『土星マンション』。あれはSFだから、ありのままの日常の肯定というわけではないのだが、悩みながらもただひたむきに働く主人公とか、過去に縛られて生きる人とか、やってることは今の我々と一緒なのよね。派手な出来事は起きなくても、日々の心情の揺れ動きを淡々と、ただ丁寧に描いていく物語をもっと大切にしたい。

きっと、日常が忙しくなってきたからこういうこと考えるんだろうなぁ……。

僕らの日常が輝く?

Cutの表紙には「たまこまーけっとで僕らの日常が輝く!」という力強いコピーが書かれてるんだが、別に輝かなくてもいいんじゃないかなぁ。決して輝きもしないふっつーの日常でも、それが素晴らしいものだってことが言えれば、この物語はそれで十分なんだと思う。比較的地味で目立たない作品だけど、だからこそ好きだ。これぐらいやり過ぎなまでにポジティブで明るい物語があったっていい。だってフィクションなんだから。

んで第1話からずっと思ってるんだけど、これNHKアニメっぽいよねすごく。OPのひたすらに楽しくハッピーな勢いとか、アイキャッチの調子っぱずれな歌とかも含めて。どう見ても深夜アニメではないですよこれ。なんだか、京アニに少し大御所感が出てきた気がする。

あと、記事書きながらいろいろ調べてて気付いたんだが、すでに同じようなこと書いてらっしゃる方がはてなにいた。こういうしっかりした文章を私も書きたいです、ええ。

『Cut たまこまーけっとで僕らの日常が輝く!』 - 青春ゾンビ


好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)
舞城 王太郎
講談社
売り上げランキング: 57,932
土星マンション 1 (IKKI COMIX)
岩岡 ヒサエ
小学館