2020年10月 - LIVE (on the) SEAT / TENET / 本の読める場所を求めて 他

UNISON SQUARE GARDEN『LIVE (on the) SEAT』

Image from Gyazo

UNISON SQUARE GARDEN による、「ロックバンドは座っても観られる」と銘打った、全座席指定かつ着席強制でのライブ。このウイルス渦において、制限は当然ながらそれだけにとどまらない。具体的には発声禁止、起立禁止、席は1つおきに空けた形、COCOA インストール必須、フライヤー配布なし、時間は約1時間程度に短縮、といったところ。詳しくは、興味があれば ガイドライン が公開されているので読んでみてほしい。

「ロックバンドは座っても観られる」のかどうかは、人によって是でもあり否でもあるだろう。この日のライブ MC でも、斉藤が「今日、来ないという判断をした人もいるだろう」と言及していた。それは感染を忌避して、人が集まるところにはなるべく来ないようにしている人もいるだろう、というのみならず、このような形で UNISON のライブを観ることに、意義を見出せなかった人もいるだろう、という意味だと僕は解釈した。

それでも、この時期に観客を入れて、感染防止策も徹底した上で音を鳴らそう、という判断をしたバンドを僕は肯定したい。制限がある中で、その中で最大限のパフォーマンスを見せようというバンドの思いがただただ嬉しく思った。無観客ライブもいくつも観てきたし、それも1つの選択だとは思っているが、バンドと聴き手が同じ場所で空気の振動を共有する場が作られるのであれば、それ以上の喜びはない。それがどんな形であっても、音楽が鳴ることが重要なんじゃないか。

2月以来、実に8か月ぶりに音楽を生で味わえた。ライブは今も全国を巡っており、12月まで続く。

TENET


『ダンケルク』を超える衝撃!クリストファー・ノーラン監督最新作/映画『TENET テネット』予告編

すっかり映画界隈は『鬼滅の刃』の話題しか見かけなくなってしまったが、鬼滅公開前はリピーターもそこそこ観測されていたクリストファー・ノーラン『TENET』。リピートはしてないけれど、はちゃめちゃに面白かった。1回目は難しい顔をしながら見ることになるが、一度背景が理解できればただただ爽快な映画なので、リピートしたくなるのはすごくよくわかる。

難しい、理解ができない、というところに話題が集中しがちな映画で、確かに『インターステラー』終盤のような「何を言っているのかわからない」状態すらも振り切り、「目の前である程度理解は可能な光景が繰り広げられてはいるが、何がどうなっているのかわからない」状態というのは映画鑑賞経験の中でもなかなか希有な感覚だった。の、だが、それもすべて、ラストのニールと主人公の会話で見事なまでに遠い未来からすべての線が繋がってしまうのである。SF としてもアクションとしてもクオリティは高いのだが、最終的にこの映画は何をテーマにしているかと言えば、あのラストに収斂していく。ノーランの理屈っぽい映画が、エモーショナルな展開でオチを付けるというのは『インターステラー』と似た構造ではあるが、あのときより「エモーション」と「理屈」「科学」の整合性は高く維持されていたように思う。いやぁ、ニール、ニールいいですよ、ニール。

阿久津隆『本の読める場所を求めて』

本の読める場所を求めて

本の読める場所を求めて

初台、下北沢に展開する「本の読める店」 fuzkue の店主、阿久津隆によるエッセイ。

同店は、「本の読める」状態を維持するために、かなり細かいルールがある。その一端はウェブサイトで読めるが、実際に店へ行くと、もっと細かい話や、なぜこのような仕組みになっているのかが書かれた「メニュー」という名の分厚いクリップ留めの紙束がある(ちなみに、何なら買える)。それをもっともっと細かく、そもそもなんで本の読める店を開くに至ったのか、巷に読める場所は無いのか、ということから書き綴ったのがこの1冊、と捉えている。

通勤電車でも読書をしていた僕は、ある程度どこでも「本の読める」人間だと思われるので、巷の様々な場所の「本の読める判定」には納得できる部分もあったし、できない部分もあったし、さすがにそこまで言っては xxx 界隈気の毒では?と思ったりもしたが、まぁそれは個人の感覚だと思うのでいいとして。変な話なのだが、僕はこの本を「あ、仕事の本だな」と思いながら読んだ節がある。

「雑に使えないようにしてあげる」という一節がある。

デイリーユースしてもらおうなんていうことは考えてもいない。週一、月一、あるいは年に一度の、自分に許した特別な時間として経験されたい。 (p.228)

面白いことを言うな、と思う。飲食店なのだから、リピート率は高いほうが安直に考えると嬉しいはずなのだが、年に一度だっていいと言う。ひたすら目的にフォーカスするとこうなるのか、と思う。収益が第一の目的ではない。あくまで「本の読める場所」を維持することが目的なのだと。それも通勤電車の中のような、仕事中につまむアルフォートのごとき読書じゃなくて、少し特別な読書の場所。すると常識的に飲食店や商売においてベターとされる選択も取らなくなる。1個の目的をただただ追求して仕事をするというのはこういうことなんだな、と、その実例を体験しているだけに、下手なビジネス書より腑に落ちる思いがあった。

ちなみに、僕もまんまと「雑に使えないように」されている。最近は特に、転居してしまったために足が遠のいているが、近くに住んでいた頃でも頻度は月一だった。1回あたり最低でも2000円は払うので、という金銭面の理由もあるにはあるが、3時間以上はじっくり、それも何も考えることなく気兼ねなく過ごしたいので、あまり忙しくない時期にきちんと時間を作って行きたい、となるとなかなか時間が取れなくなる、というのが大きい。店内で流れている BGM の CD も買ったが、これすらも日常的に流そうという気にならなくて、ちょっと申し訳ない話だが、封すら開けていない。しかし、それぐらい「すり減らしたくない」場所があるというのは、悪い気分ではない。

人が本当に、本当にひとつのことを追い求める、その様をじっくりと味わえる本だし、人が自身の思考を書き綴った文章というのは、本というのはやっぱり面白いなと再確認できる本だった。

アニメ『呪術廻戦』


TVアニメ『呪術廻戦』ノンクレジットEDムービー/EDテーマ:ALI「LOST IN PARADISE feat. AKLO」

面白い。今風だな、と思う。ダークな雰囲気と、『HUNTER × HUNTER』や『ジョジョ』の影響を思わせる論理的なバトルという要素がありつつ、その主人公たちはわりとそこら辺にいそうな高校生、という取り合わせが心地良い。虎杖が鋼メンタルのように見えつつも、「死にたくない」とメソメソするやつで良かったし、釘崎が田舎が嫌で上京する女の子で良かった。この漫画の魅力はそこにこそ強く感じる。対比的な OP と ED が、見事にそういった二面性を拾い上げてくれているのがまたいい。

円城塔『エピローグ』

エピローグ (ハヤカワ文庫JA)

エピローグ (ハヤカワ文庫JA)

円城塔はとても好きで、もう何冊も読んできているのだが、何が好きかと問われるとすごく難しいし、そもそも理解しているのかもよくわからない。ていうか多分理解できていなくて、おそらくは4割、いや3割程度の理解度じゃないかと思っているのだが、自分の理解が合っているのか判定ができないので、「理解度」を測ることすら難しい。世の読者たちは円城作品理解しているのかが気になる。理解できないけれど面白いのか、理解できて面白いのか。そもそも理解する必要があるのかとかなんとか。

理解できない感覚自体が好きという人もいるみたいだが、僕はそうではなくて、例えばグレッグ・イーガンは理解できない上にそれが苦痛でしかないのだが、円城塔は不思議と手に取りたくなる。なんでかと言われるとやっぱり難しい。佐々木敦が解説で書いているように、ディティールに惹かれる故か。

回想は常に未来から行われ、想起は過去を改変する技術だよ (p.220)