文学フリマ東京36

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手元の日記によれば、文学フリマに初めて行ったのが2014年らしく、もう10年近く前になるらしい。毎回足繁く通っているというわけでもなくて、特にコロナ禍においては一度も行ってなかったりして、昨年11月の「東京35」で何年ぶりか、というのがわからないぐらいに久しぶりに足を運んだ。その直前ぐらいにTwitterのフォロワーとこれまた6年ぶりぐらいに会っていろいろと話をしていて、その話に刺激されたのか、話の中で直に文フリの話が出たのかは忘れたが、ああ文フリ最近行っていないな、と思い出して「35」に行き、やっぱりいいな、というのを思って「36」にも、という具合なのだが、人が増えていてとにかくビビっている。

ということらしい。文学フリマ - Wikipedia に歴代の来場者数が載っていて、これは公式サイトを参照しているようなので齟齬はないと思うが、僕が初参加した2014年5月は第十八回だったようで、出展サークルが約650、来場者数は約3500人。と考えると、今回は前回からの増分だけで当時の来場者数を上回っていてわりと意味がわからない増え方をしている。コロナ前にあたる2019年11月の時点で6044人、それから2000人台にまで一時落ち込むが、前回の「35」で7445人となって過去最高になり、今回が1万人突破。コロナ禍が落ち着いてきて以前の勢いを取り戻す、というレベルではない盛り上がり方をしており、今回もこれ、冷静に考えて前回の約1.5倍来ているというのは結構尋常ではない増え方ではなかろうか。なんだろう、マツコ・デラックスがどこかで紹介でもしたんだろうかというぐらいの。会場内も、昔は列を歩いていて人と触れ合うこと自体そこまでなかったと記憶しているが、今回は人がひしめき合って進めない、というのが何度かあるぐらいで全然質が違ってしまっている。長らく参加されているサークルさんとの雑談だと、「人すごいですよねえ?」という会話を鉄板みたいに繰り返してしまった。東京の次回では会場キャパも増やすらしいが、それでもまた相当に混みそうだなとは思う。もう東京流通センターでは入らなくなるんじゃないか。

なんか人数の話ばかり書いてしまったが、ということで行ってきていた。先に書いた通りそこまで頻繁に来てはおらず、ZINEやアマチュア文芸にそれほど通じているわけでもないので、毎回そこまで下調べをせずにぶっつけで向かい、見本誌コーナーである程度あたりをつけてから見て回る、ということをしている。書店に行くときも、欲しい本があるでもなくふらっと行くときというのはあるわけで、それと同じ気分というか、二次創作ならジャンルや作品のあたりというのは当然あるわけだけれど、一次創作の場合は別にそういうのはなくてもいいというか、偶然の出会いのほうが面白い。特に同人、アマチュアの分野というのは本当に自分が好きだというだけで作品が作れるからカオスなわけで、カオスが楽しい。自分の知らないもの、普段考えたことないものに出会えるのが楽しいのもあるし、一方で自分が普段考えていることや好んでいるものとドンピシャ同じことを書いている人がいるとそれまた嬉しい。

Baklava BANZAI deluxe という本を買った。バクラヴァ。トルコの伝統菓子だそうで、昨年ナーディル・ギュルという店が、トルコ当地から日本へ初進出、松屋銀座にオープンした、という ニュース は知っていて、見た目はパイのようで美味しそうで珍しくて、一度食べてみたいと思いつつ、松屋銀座なんて行く機会もないしまだ食べたことはないのだけど、そんなぼんやりとした記憶から、今日ブースの前を通ったときに引っかかって。パラパラと頭のところを立ち読みしてみると、

確かに、なんとなくトルコ発祥のようなイメージがあるが、そうではないというのが、多くの人の見解のようだ。(中略)私は、ネット上で様々な国のバクラヴァに詳しそうな情報を散策し、その起源を調べてみることにした。(p.3)

とあり、ナーディル・ギュルについてはどのメディアも「トルコ」の国を冠して報じていたように覚えていたので、へええ、そうなの??となり非常に興味を惹かれた。バクラヴァはもともとカルディで置かれていたりもしたらしいが、僕は昨年初めて聞いたお菓子で、たぶん日本全体で言えばそこまで馴染みがあるものではないと思うのだけど、それについて元々知っていて、かつ、その発祥に関して「トルコです」と言われたときに「そうだっけ?」と言える人がいるんだなぁということと、この本は起源に関する話だけではないのだが、とはいえそれでバクラヴァに関して、ナーディル・ギュルの開店に合わせてトルコから来日していたナーディル・ギュル氏本人にもインタビューした上で、1冊書いて売る、という人たちがいるんだなぁというのが、どう表現したらいいかわからないが、それでとても嬉しくなり、文フリに来てよかったなぁというのを、今回はこのタイミングで感じた。自分がまったく与り知らぬ世界のことを知っていて、それについて数千、数万の文字を書いて、自費で本にして売ってくれる人がいるということが信じられないぐらいの奇跡に感じるし、そういう人が山といるイベントが開催されていることを幸せに思う。実際のところバクラヴァが「トルコ発祥」と言えるのかどうかは実際に読むべきだと思うのでここには書かない。僕はまだ想像のなかだけでバクラヴァを味わっている。実際に食べる日はいつ来るんだろうか。

そのほかにもいろいろと。『時を旅するヴィンテージ紙もの』はエフェメラと呼ばれるチケット、ラベルといった使い捨てされる紙モノの収集記録本で、かなりの数の「エフェメラ」が記録されていて驚く。数十年も昔のヴィンテージものとか、買えるんだ?というかそういうのを交換したり売り買いする文化圏があるんだ?という、まあ、あるか。考えてみれば。いやでも紙袋とか……あるのかぁ。『伊勢うどんってなんですか?』は今度伊勢参りに行くので、これも何かの縁と購入。『死ぬことと、生きること〜キューブラー・ロスをめぐる対話〜』と『カフェから時代は創られる』は国分寺市にあるクルミドコーヒーが手掛ける出版社「クルミド出版」の本で、以前国分寺近くに住んでいたがクルミドコーヒーには行く機会を逃し続けたままというところで目に入り、出版をしていたとはつゆ知らず、これも何かの縁と購入。キューブラー・ロスは死の受容プロセスで知ってはいたが、それが一般的な「変化の受容プロセス」として応用されている感があって、彼女の原著などにはあたったこともなかったので、そもそもどういった背景から現れてきた考え方なんだろう、ということを知れるんじゃないかと楽しみにしている。『書くことについてのノート』『言葉の地層』も現地で立ち読みしてよかったので、というところで。特に、書くことについてのノート。書くことについて、というテーマについては、ちょうど今書いている、というのもあるが、単に楽観的な内容でもなく、その難しさだけを書いたものでもなく、書きながら悩みながら、本当に悩みながら書かれてきたのだろう、というようなテイストだったのが目を引いた。『Twitter終了合同』は時事ネタwwwwwと思いながら手に取ったら「斜線堂有紀」の名があってフリーズし、と思ったら目の前に斜線堂先生ご本人がいらっしゃってさらにフリーズし、などとしているうちにサインをもらい忘れたまま買って帰ってきた。

From Tokyo』だけは文フリではなく、帰りがけに書店で買ったもの。開くと1日1日、今日マチ子先生の絵でコロナ禍の様子が描かれている絵日記のようなテイストの本。この3年近くを残した本はこれまでにもいくつか買っているが、つい手元に置きたくなる。イラスト付きとなるとなおさら。視覚的な風景が変化した期間でもあったもんなぁ、と思う。