口の中の火照りはしばらく残っていた

自動販売機の広告の写真。ポカリスウェットを初音ミクが宣伝するイラストが描かれている。
初音ミクってもう恒久的にポカリのキャラになるの?

ポカリスウェットの甘味はまぁ、そこそこわかった。でもただ甘いだけというか、やはりポカリってこんな味だっけ?となってしまう。

新型コロナウイルス感染症により、味覚、というよりおそらく嗅覚を失って改めて思うのは、食の体験は複合的なものだということで、味の感じ方には匂いも大きく影響してるとはよく言われることだし、それだけではなく触感やら痛覚やら、味がわからなくても、いや味がわからないからこそ、様々な刺激が食を通して伝わってきているということがわかる。逆に言えば、味以外での刺激が弱いと、食べている感覚がどこまでも希薄になっていくので、焼いていない食パンや炊いた米のような、柔らかいだけで食感の変化には乏しく、仄かな甘みを楽しむような食材は不躾な言い方にはなるが、食べていて何も楽しくなく、忌避感が強くなった。朝はしばらくパン派だったが、もっぱらシリアルを食べるようになり、なんとなくヨーグルトやフルーツを載せると健康的な気がしてくるので、味覚が戻ってきた今も続けている。そして味覚が戻ると「甘すぎる」ことに気付いたので、無糖のグラノーラを探そう、と思ったりしている。

一番おもしろかったのは脂だった。試しにと思ってローソンのLチキを買ってみたところ、味は何もわからないのだが、じゅわじゅわと衣や肉から滴る脂や油を口内で愛でていると、不思議と幸福感が得られた。外側がパリパリとしていて、中は柔らかいという食感も楽しい。なるほど揚げ物か、と思い、翌日はチキンカツカレーにしてみた。これも味がわからず、やはり米飯が食べていて退屈ではあるのだが、カツの一口目は強烈に楽しい。が、カレーに乗っているサイズのカツだと、これもまた徐々に刺激に慣れて飽きていった。大皿料理はダメなのだとわかった。飽きがこないよう、少量ずつでいいので品数を揃えたほうが食べやすい。ただ、食べ終えたあとも口の中の火照りはしばらく残っていた。それが、「ああ、確かにカレーを食べたのだ」と思わせてくれて、不思議と心地よかった。「辛味」というのは痛覚刺激に近い気がした。味としての「辛い」は口の中でどう探ってみてもカケラも見つからないのだが、しかし「辛い」ものを食べたことは強烈にわかる。

ランチを食べる楽しみ、みたいなものもなくなってどうでもよくなって、BASE BREADや完全メシカップヌードルのような、安くて栄養が入っているらしいものを適当に食べ続けた一方、夕食はいつも通りに食べることで、今日はまだ回復していない、少し回復したかもしれない、と変化に気付いていった。普通に料理をして普通に食べた。土井善晴先生が「味付けなんて各自で好きにすればええんです」と言うから、普段からあまりちゃんと味見はしないのだが、さすがに「不味くはない」保証すらできないものを作って家族に食べてもらうのは、だいぶ勇気の要る経験ではあった。ともすれば、食材が傷んでいることにすら気付けない。

例えるならば、色で言えば三原色しか判別できないような状態が最初だった。それぞれの色が混ざったあわいの色はよくわからないし、三原色にしても、うっすら色が付いているのがわかる程度で彩度は低く、はっきりとは見えない。それが徐々に、少しずつ色の鮮やかさを取り戻していった。彩度は相変わらず低いままなのだが、色相の幅が戻っていく形で最初は回復していった。

最初は豚の角煮だった。味覚障害に気付いて8日目、やけっぱちのように買った、このタイミングでなぜか初めて買った、ちょっと高いセブンプレミアムゴールドの惣菜。醤油の尖った塩味も、その中にある砂糖の甘味も感じられる、と気付いた。いつの間にか味がわかるようになっている。口に入れた瞬間に「うまい」と思える経験が久しぶりで食が進んだ。高い惣菜を買ったのが無駄にならずによかった。そこからは緩やかにだが感覚を取り戻している。これはかなり薄味な気がするが俺が変なだけか?と妻に聞くと、いやいや普通にしっかり味ついてますよ、と、まだ返ってきたりする。塩分摂取量が不安になっている。