アトランダムな1週間を誰もが平等に切り取られる

有隣堂 BASEGATE横浜関内店の正面からの写真。大きなビルの1階に有隣堂という白いモダンなフォントのカンバンがあり、2階にも同様のも文字が小さく見える。
有隣堂 BASEGATE横浜関内店

『季刊日記』の2号を手に入れたという人をちらほら見かけ、 Amazon を見ると4月17日発売とあったので、せっかくだから最近出来た 有隣堂 BASEGATE横浜関内店 を見に行きがてら買ってこようと、先週末18日の土曜日、電車で向かった。

有隣堂は横浜発祥の書店だ、と知ったのは神奈川に住み始めてからだった。みなとみらいに近い、関内駅の陸側のほうの商店街に、築70年を迎える実にレトロな本店がある。大手のチェーン書店に初めて行った記憶、なんて無いのが普通だと思うが、有隣堂だけははっきり覚えていて、かつて羽田空港にあった店舗で、父が貯まったマイルで文庫本を1冊買ってくれた。それが何の本だったか、おそらくは重松清の『エイジ』だった気がするがさすがに自信はないのだが、有隣堂には10色の文庫本カバーから1つを選んでもらえるサービスがあり、目の覚めるような青を選んで、革のようにエンボス加工されたその手触りが、どことなく大人っぽい買い物をしたような気にさせてくれて、とても特別な1冊に思えた。だから覚えている。

本店も近い関内駅の、本店とは反対にあたる海側すぐ、横浜スタジアムの隣にBASEGATEという複合施設が出来て、そこに有隣堂の店舗が入ったのだと聞いていたが、駅を出ると1分もせず入口に辿り着き、これは便利かもなぁ、と思う。1階から入るとすぐ、本はなくて。食品と雑貨が並んでいて、本は2階のようだった。この手の本屋は最近多いけれど、入って最初に目に入るのが本ではないパターンというのは珍しい、と思いかけて、三省堂のリニューアル前の本店が1階に「神保町いちのいち」という雑貨店を展開していたのを思い出す。2階にはややこじんまりとした書店と、有料のラウンジがある、最近都心だとよくあるタイプの本屋で、しかし蔵書量は多くないものの、ZINEを置いているなど、本好きのほうを向いている本屋だなと感じられて、ならば季刊日記もありそうだな、と思ったが、ない、のである。ぐるぐる3周ぐらいしたが、ない。ならば仕方ないとドコモのバイクシェアを借りて、関内駅から一駅、桜木町駅まで走り、季刊日記の創刊号を買ったここならあるだろうと、ちくしょう有隣堂ばかりではないかと喜びつつ、同じ有隣堂のSTORY STORY YOKOHAMAに行ってみるが、こちらもなんと創刊号はあるのに2号がない。さすがにおかしいだろうと思って調べてみて、それで初めて正式な発売日が20日だと知った。聞け、店員に。最初から。まぁ、ここまで来たからなぁ、と、目に付いたZINE『超個人的時間旅行』と、なぜか有隣堂でしか見かけないフィッシュアーモンド「Oh!オサカーナ」を買ってこの日は帰路についた。

週明け、紀伊國屋書店新宿本店で、季刊日記2号を無事に入手。雑誌の棚に行くより先に、文学の棚に挿してあるのを見つけた。これは文芸誌なんだろうか、違うのだろうか。季刊と言うからには雑誌ではあるのだが、やや異彩を放っているところはある。

日記ブームと言われている最中、その火付け役と言ってもいいだろう日記屋 月日が昨年創刊した雑誌で、創刊号は日記にまつわるエッセイや対談が載った特集のほか、25人の文筆家らによる1週間分の日記が載っていた。こうの史代、古賀及子、蓮沼執太、ピエール瀧などなかなか壮観なメンツで、果たしてこの雑誌はこの勢いのまま今後も刊行されるのかと期待と心配が半々のように見ていたところ、2号は厚さがやや減ったものの、今度は22人による1週間の日記が載っていて、すごいな、この勢いで本当に行くんだ、と、それがわかると、なんだか楽しくなってしまった。これは日記に関する雑誌というか、本当に季刊「日記」なのだ。四半期に一度、日記そのものを数多束ねてお出しするという、おそらくは今までにない形の文芸誌になっていくのだ。

掲載されている日記は、当然ながら何か一連のストーリーがあるでもない、言うなればただの日記だ。何か特別なことがあった1週間ではなく、22人全員が同じ1週間、今回で言えば2026年1月14日の水曜日から20日の火曜日までという、アトランダムな1週間を誰もが平等に切り取られる。日記は突然に始まり突然に終わる。ある人の日記では、初日に「そういえば昨日BさんにもAくんの不義理の件を話したけれど(p.58)」という一節があるが、こちらとしてはBさんのこともAくんのことも、不義理の件とやらも何もわからず日記は進んでいく。それが面白いのかと言われれば、しっかり面白いと思えるのが、自分でも不思議ではある。別に情報が充足していなくとも話というのは追えるものであり、その余白に少し想像を向けながら、書かれた日常をただ追いかける。わかるなぁとも思うし、そんなことするんだ、って思うし、食生活が勝手に心配になったりもする。人によっては日付がいくつか飛んだりもする。起承転結があり、すっきりと腑に落ちる「終わり」を迎える文章ではなく、連綿と続く生活の一部だけを読み、それがまた唐突に終わる、という経験は、日記以外にはなかなかできないのではないか。そして、それってあまりにも文学的ではないか。

恐縮ながら名前だけでは存じ上げない方もいらっしゃるが、最後に全員のプロフィールが載っているからありがたい。ああ、あの作品の作者さんか、とか、こういう職業の人ってこういう1日を送っているんだ、というのがわかる。同じ1週間、同じ平日、同じ土日であっても、当たり前だが人によって過ごし方がまったく異なる。かと思えば、この時期は衆議院解散の可能性が取りざたされていた時期であり、何人かが同じように現政権に対する憤りを書いていたりする。繋がらないはずの日常はどこかで繋がっていて、22人の同じ1週間を切り取っていることの意味が立ち現れてくる。