the world was not enough

物語偏愛者の詭弁と戯言

『HUGっと!プリキュア』- 誰だってヒーローになれる

プリキュアを朝の8時から正座待機して見る、というのをまさか齢三十にしてやるとは思っていなかった。何気なく「ほまれちゃん、めっちゃマブくね??」という邪な思いだけで、ウン年ぶりに見始めたプリキュアシリーズ『HUGっと!プリキュア』だったが、すっかり「えみルー」の虜になってしまっている。

プリキュアに憧れる幼気な女の子愛崎えみると、プリキュアへ徐々に惹かれていった元敵組織のアンドロイドであるルール―が、その願いの結実としてついにプリキュアになるという展開が、前回放送の第20話だった。今年のプリキュアはOPの最初に「なんでもできる、なんでもなれる」という言葉を毎週繰り返していて、その到達点として「まっすぐ願い、努力すれば、プリキュアになることさえも叶うのだ」ということを、プリキュアに憧れる視聴者に対して改めて示したように見える。キュアマシェリ、キュアアムール登場直前の第19話では、そのテーマのまた別の帰結として「男の子だってお姫様になれる」というセリフも飛び出し、話題になった。

そもそも、この2人が出会ったとき、2人揃ってプリキュアになるとどれだけの人が予想したのだろう。ルール―については「元敵でありながらプリキュア」というキャラクターに前例があったこともあり、追加キュアと予想する声もTLで見かけていたが、えみるについては本当に、プリキュアに憧れるだけのただの女の子だった。彼女らが初めて会ったのは、ギャグ回的味付けの強い15話で、あのときは、えみるの「プリキュアのように人助けをしたい」という思いも空回りに終わってしまうという展開が前半で見られていた。後半でその思いが報われるわけだけど、一方で「危険を冒してまで人助けをするという、怖ろしいことをしてしまった」とえみるは振り返る。ルールーもまた、一度自らを顧みず、プリキュアに感化されて人を守るという経験をしていたのだけど、この時点では「なぜそんなことをしたのか」が自分でも理解できていなかった。

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「わたし……なんて危険なことを……」 「わたしはなぜ……あんなことを……」

プリキュアへの憧れも、人を助けようとする気概ももちろん本物だけれど、それに相応な力が伴っているとは限らない。善意に突き動かされることは素晴らしいことだけど、リスクを省みなければそれは危険を冒すことにも等しいのだと、まるで諭すような展開だ。ここから本当にプリキュアになれるとは、なかなか想像はしづらい。おまけに、2人がプリキュアになる!という展開すらもギャグとして消化される始末だった。いやーもー、この回のノリと勢いは最高に楽しかったけども。

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だが、それは結局このアニメというものを侮っていたのだ。「なんでもなれる!」をテーマに掲げるアニメが、プリキュアに憧れる女の子を単なるワナビーで終わらせるわけもなかった。ルールーが敵組織を抜けてから、2人は再び出会い、本気でプリキュアを目指すことになる。そして2人の願いは「自分が」プリキュアになることではなく、「2人で」プリキュアになることだった。えみるは由緒ある家柄らしく、保守的な兄によって縛られていたが、それを打ち破ろうとしてくれるのがルールーだった。一方、アンドロイドである故に「自分には心がない、わからない」と悩むルールーに対して、心があると言い切ったのがえみるだった。プリキュアになりたいと決心できたのは互いがあってこそだったから、一緒にプリキュアになりたい。そしてその願いはいよいよ叶えられる。

プリキュアにおいて、初めて見る変身バンクというのは万感の思いがある。その輝きは、普通の女の子が特別な存在へと変わっていく煌めきで、だからこそ心を揺さぶってくる。ギャグ回での出会いから、じっくりと5話かけて(全話で2人出ているわけではないが)仲を深め、至ったのが2人一緒に、2人相互にやり取りをすることで成り立つ変身バンク。そもそもあのギャグ回もすべては布石だったわけで、4クールアニメだからこそじっくりと描けた関係の深まりと、それがあっての同時変身だった。返信した2人が、元祖を思わせる「ふたりはプリキュア!」という言葉を口にするのも熱い。

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深夜アニメは好きだけれど、大人をターゲットにしたわかりやすいアニメよりは、『たまこまーけっと』や『リトルウィッチアカデミア』のような、アニメにしかできないことを丁寧に追求した作品こそ流行ってほしいと常々思ってきた。その根底には、本来的にはアニメーションとは子どもに対して可能性を与えるためのフィクションであってほしいという思いがある。アニメーションは二次元の世界、つまりは完全なるフィクションの世界なわけで、どんなことだって実現できるという可能性がそこにはある。そういう希望は、子どもにこそ与えるのが相応しいと常々思う。

当の子供向けアニメがこれほどのクオリティであれば、何の心配もない。『HUGっと!』の「なんでもできる」というメッセージは本当に強い。スーパーマーケットで人助けをするにもままならなかったような女の子が、キラキラ輝くプリキュアにだってなれたのだ。この先何十年もの未来があるはずの子どもたちに見せるにあたり、これほどの希望というのもないだろう。