2019年6月 - アステリズムに花束を / 紙の動物園 / キング・オブ・モンスターズ 他

なかなかにドタバタしている最近で、6月まとめエントリーを7月半ばになってようやく出すという体たらく。最近は見たい映画が多すぎるけど時間が取りづらかったりとかそういうのが多くて、6月からで言えばこの後書く『ゴジラKOM』に、有楽町のヒューマントラストシネマでリバイバル上映していた『イーダ』はなんとか見れたんだけど、『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』も見たかったのに見れずに終わったし、『センコロール コネクト』も結局見ていないですね。あれ、上映館少なすぎるのもあってか全然話題を見かけないけど、どうだったんでしょうね。あっ、ガルパンは当然のごとく見ましたが別エントリーで書きます。書く。きっと書く。書く書く。本はなんだか最近はずっと SF な感じ。

最近思うのは音楽の消費がとてもおざなりになっているなということで、それはひとえに Spotify を契約しているのが大きいわけなんだけど、あれ適当に再生すると適当にいい感じの曲が流れて、似たような感じの曲もバンバン流れてっちゃうので、完全に BGM と化してしまい、それが何の曲か、誰の曲か、いつ頃どんなときに発売されたのかみたいなコンテクストを一切気にしなくなるのがすごくよろしくない気はしていて。まぁそれはそれで別にいいのかもしれないけれど、意識して CD を買って、ライナーノーツやジャケットをきちんと眺めて、そのアーティストの成り立ちや言葉を調べて読んだりしてみて、というような、意識的に聴く音楽、というのもあっていいんでないかなぁ、と。ニコニコ動画時代はランキングからであっても、目当ての動画を「クリック」するという動作の中に、まだそれがあったようには思うんですよね。うーむ。最近は大橋トリオをよく聴いています。

映像研には手を出すな! 4

映像研には手を出すな! (4) (ビッグコミックス)

映像研には手を出すな! (4) (ビッグコミックス)

アニメ化めでたい。湯浅政明監督とNHKって、もうそれを聴いたらそれしかないじゃん!!!という感じの組み合わせで、大童先生もこれはガッツポーズなんじゃないでしょうか。これほどまでに不安が一切なく、ただただ見るのが楽しみになるアニメ化というのもなかなかないものです。アニメを作る作品をアニメ化する、というメタアニメ化な様相だけど、浅草氏らが作るアニメがどう「アニメ化」されるのかも気になるし、彼女らが住む一風変わった世界観がどのように着色されていくのかもまた気になるのですよね。今巻において、生徒会のソワンデと金森氏の間で、学校の中央集権化と自由に関する興味深い会話が交わされていたように、この世界自体がどこか「普通じゃない」ように見えるし、単なる一学校内での趣味活動に留まらない意味がある気がするんですよね、彼女らのアニメ活動は。

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ


Godzilla: King of the Monsters - Final Trailer - Now Playing In Theaters

今回『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』を見るにあたり、前作「ギャレゴジ」を見直そうと Prime Video を開いたところ、1954年版の初代『ゴジラ』も無料になっているのに気付いて、これも良い機会と初めて見てみたんですね。結果的にこれがあったから、KOMを見ていて芹沢の名を持つ博士が、オキシジェン・デストロイヤーと呼称される兵器で傷ついたゴジラを救うために、海底へ1人特攻する、という行為の意味がとてもよく理解できて。ドハティという監督がゴジラに対して並々ならぬ情熱を注いでいることを、全面に感じられるような、そんな映画体験になりました。初代ゴジラ見ずに行ってたら、「いやいや、なんで芹沢なんて重要人物を捨て駒みたいなとこで使ってんねん、アホか??」としか思わなかっただろうの。

初代ゴジラを見ると味わいが変わるのは『シンゴジラ』も同様で、今回初代を見たことで、庵野秀明もまたゴジラに深い敬意を抱いているのだと、公開から3年を経て改めて知ることができたように思う。この2つの映画は、過去のゴジラ映画へのリスペクトを踏まえつつ、日本とアメリカそれぞれの形で現代のゴジラ映画を作った、その双極のようにそれぞれ視点も描くものも違って面白い。ゴジラをあくまで人類が克服するべき災害の比喩、アミニズム的な神として描く日本と、巨大モンスターの王として、人間さえも超えた超越的な存在としてのゴジラが描かれるアメリカ。どちらも間違っていない。それぞれに描きたいゴジラという作品を全力で描いていて、ひたすらにいい、としか言えない。

しかしイカれた映画だったのは間違いなくて、エンドロールの「himself」「himself」「himself」「herself」にはさすがに吹き出しました。立川のシネマシティ極上爆音上映で見たのが大正解で、さながら4Dではないかというぐらいに、怪獣たちの一挙手一投足でビリビリと服や肌が震えた。

『アステリズムに花束を』

アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー (ハヤカワ文庫JA)

アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー (ハヤカワ文庫JA)

百合SFアンソロジーという、なんというか、とんでもない代物が出てしまったなぁという感じの本。しかも信頼と実績のハヤカワですよ。ハヤカワのSF文庫と言えば「青背」「白背」が定番だけれども、この1冊は赤紫とも言うべき特別な色の背表紙というスペシャルっぷり。百合にどんだけ力を入れたいんだよ、ハヤカワ文庫。

別に百合が好きではなくとも勧められそうというのが良いところでもあって、若い作家が多いので、さながら新世代エンタメSF作家見本市のような様相を呈してもいる。どストレートな百合というのはむしろあんまり無くて、そうか、これも百合なのか。。。いや、こういう百合もありだったのか。。。。と唸りながら読める1冊だった。特に印象深かったのは陸秋槎『色のない緑』。百合作品として、関係性の描き方が美しかったのみならず、表題の「色のない緑」という言葉の扱い方がなんとも美しくて、非常に文学的でじわじわと心に染みてくる味わいがありました。その次、本作の最後に収録されていた小川一水先生が、じわじわとは対局にある豪速球を投げて〆てきたのには最高すぎて笑っちゃったね。

ケン・リュウ『紙の動物園』

紙の動物園 (ケン・リュウ短篇傑作集1)

紙の動物園 (ケン・リュウ短篇傑作集1)

陸秋槎の話題が出たところで、最近中国SF、中国文学がアツいよねという話がありますね。先日も累計2100万部を売り上げている劉慈欣『三体』が日本で発売され、発売1週間のうちに10刷という意味のわからない数字を叩き出したりしていました。俺も買ったけど、まだ積んでいるので読むのが楽しみ。

先月読んだケン・リュウ『紙の動物園』もヒューゴー、ネビュラ両賞を受賞した話題作。先の『アステリズム』発売まで5日というタイミングで読む本が無くなってしまって、正直「繋ぎ」という感じの軽い気持ちで買ったのだけれどもこれがまたすんごい良くってびっくりしてもうた。多くの作品では、中国というバックグラウンドがかなり大きい意味を持っているのだけど、しかし自分は中国で生きる人、中国から世界へ目を向ける人の視点というものを、存外に知らずに来たのだなということを知らしめてくれる。経済成長により欧米各国と肩を並べようとするも、現地に行けばあくまでマイノリティとしての扱いを受ける者。共産党の圧力から逃れることを求める者。ただただ歴史と大国の思惑に翻弄されるか弱い人々。彼らの生き様が繊細に描かれているのがとても新鮮だった。

中国風味を抜きに考えても、小説家としての技量が高いのは明白でしょう。会話を学習し、適切な「次の言葉」を発話する精度を次第に高めていく人工知能と、そのアルゴリズムを探求する中で、徐々に自身の認識に変化が現れてくる女性科学者を描いた『愛のアルゴリズム』は、さながらテッド・チャンの短編のような、人間が内側から無意識に進化を遂げていく様に寒気が走る感覚を覚えた。と思ったら、著者自身があとがきでチャンに触れていて、ニヨニヨさせられたり。