『十三機兵防衛圏』 - 重層的で重厚な世界観を自らの手で紡いでいく、唯一無二の「体験」


『十三機兵防衛圏』購入者満足度99% WEB-CM

このゲームの感想を書くのが非常に難しい。

面白いか、面白くないかという2択を迫られたら間違いなく「面白い」を選ぶ。しかし、自ら両手を上げて「面白かった!最高!これはもうとんでもない傑作だぜ!」って言えるかというと首肯しがたい。10万本を売り上げたという確かな実績があるものの、その実非常に人を選ぶゲームだというのが率直な感想だ。改めて、自分の感想を一言で表すならば、「とんでもねぇもんを見てしまった」、になる。

はっきり言って難しいのである。プレイが、ではない、ストーリーが、だ。

プレイは簡単だ。13人の主人公、13通りのテキストアドベンチャーを自由に遊ぶ「追想編」、バトルシミュレーションゲームの「崩壊編」の2つがメインだが、前者はそれほど難解なチャート分岐もないし、万が一死んでしまっても自動的に直前から再開される*1。崩壊編もゴリ押しでなんとか進められるレベルだし、難しければ難易度を下げられる。クリア時点で確認した、総プレイ時間は約35時間だった。

一方でストーリーはやたらと難しい。正直に言って、最初にエンディングを迎えた時点においては、自分が真相をきちんと理解できているのかまったくもって自信が持てなかった。だが、それは決して不快感ではないし、答えがまったく提示されていないわけでもない。真相には自分で辿り着く必要がある。それはまさに、難解な SF 小説を一度読んで、どうも理解しきれていないなという感覚とともに、気になる部分を幾度か読み返し、じわじわと脳内に全体像が組み上がっていく、あの非常にスローな快感と似ている。

しかしながらこれは小説ではない。この体験はゲームでしかできない。小説、アニメ、いかなるメディアミックスでも、『十三機兵防衛圏』の完全な再現は絶対ムリだ。だからプレイするしかない。そしてネタバレを読もうが何しようが完全な追体験はできない。これは「体験する」ゲームだ。あらゆる意味において、唯一無二のゲームであり、「とんでもねぇもん」としか形容のしようがない。

このゲームの内容を多少なり知っていれば想像がつく通り、これは一直線なストーリーがあり、答えがその最後にバシッと提示されて、カタルシスとともに終わっていくような、そういうゲームではない。

Image from Gyazo

物語の開始時点は1985年。この時代に突如怪獣が襲来し、13人の少年少女たちが「機兵」と呼ばれるロボットに乗って「最終決戦」に挑む。なぜこれが「最終」なのかと言えば、1945年、2025年など、様々な別時代にも同様に怪獣が出現し、すでにそれらの時代の人類は滅ぼされており、時空的に見たときの最終防衛ラインが、この1985年になっているからだ。元からこの1985年で生活していた者のみならず、滅亡した様々な時代からも機兵登場者がやってきて、計13人が最終決戦に臨むまでの物語を、プレイヤーは「追想編」で体験していくことになる。「崩壊編」はその最終決戦をプレイしている立て付けだ。追想編の中には、崩壊編をある程度進めなければ、アンロックできないエピソードも存在する。また一方で、崩壊編を進めることにより、「ミステリーファイル」と呼ばれる、作品中のキャラクターやアイテムを解説したテキストをアンロックすることもできるので、自ずと追想編と崩壊編を交互にプレイしていくような形になる。そしてミステリーファイルと、プレイ済みのエピソードを自由に閲覧できる「究明編」を探っていくことで、プレイヤーは物語の真相を掴むことになる。

これだけですでにややこしい。「崩壊編」は時系列的に最後に当たるので最後にプレイしたい、という思いがあったのだが、それは許されず、要するところ「時系列シャッフル」を免れない。さらには13人のエピソードにしても、時系列が一定ではないのだ。具体的な日付などがエピソード内で明記されることはほとんどなく、たまに他のエピソードのシーンと同じシーンが挿入される形で、初めて前後関係が把握できる。13人のエピソードは一応独立した形ではあるものの、まったく無関係ということでももちろんなく、時には敵対し、時には助け合いといった関係性が築かれていく。しかし誰が、いつ、どの行動を取っているのかが、ただ追想編を進めているわけではなかなか見えてこないのだ。エピソードとミステリーファイルの開示は、すぐにその意味がつかめるようなものではなく、パズルのピースを提供されたに過ぎない。それを自分の手で、1つずつはめていくのがこのゲームだ。

彼らの行動を把握しにくい理由はもう1つあって、いかにも怪しい黒幕めいた人物や、「信頼できない語り手」が複数配されていることがある。

ジュブナイルにはお決まりの、少年少女を導く保護者的な立ち位置のキャラクターとして、井田鉄也と「森村先生」の2人が初期から登場するが、いずれもどこか影があり、主人公たちに何かを隠している素振りを見せる。また主人公のうち、何人かは記憶に障害があり、その存在自体が信頼できない形になっている。おまけに記憶障害を持つ1人である関ヶ原瑛に至っては、森村を殺害した疑惑から始まるストーリーとなっており、自身が本当に森村を殺したのか、殺したのであれば、なぜ殺したのかを自分自身で探し、葛藤していくというまさにミステリーそのものの筋書きになる。この物語の最も根幹にある謎は、「そもそも怪獣の襲来を招いている原因はどこにあるのか」という点だが、実のところ、疑い出すとキリがない。そしてメインキャラクターが13人+αと非常に多い故に、誰もが何かしらの希望や願い、秘めた思いを抱えて、時には非倫理的な行為にすら走っているのは事実であり、それが複雑に絡み合って物語は出来上がっている。さながら芥川の『藪の中』のような構成であり、真相はおのずから明らかになるようなものではないのである。

そして極めつけはミスリードの多さだろう。

SF に馴染んでいると、古典的な SF ジャンルが頭に入っているものだ。本作ではそれをきちんと踏襲していて、非常に多くの作品を彷彿とさせる要素が組み入れられている。故に、しばらくしてある程度世界観が明らかになってきた段階で、「ああ、○○系なのか」と早とちりしてしまいがちだ。

だが自分の場合、このゲームにおいてそれは一度と言わず、何度も何度も裏切られた。どうもこの世界はこうなっているらしい、という仮定のもとで話を進めていくと、不意にそれでは辻褄の合わないシーンが立ち現れて面を喰らう。そして究明編にあわてて立ち返り、エピソードの時系列などを洗い直して仮説を組み直す、そういう行為の繰り返しが求められる。おそらく、これは意図的にバラまかれたミスリードなのだろう。目的はプレイヤーを路頭に迷わせるためというよりは、いくつも SF ジャンルを重層的に楽しめるような、そんなゲームを味わえるように仕掛けたものだと思えている。それは13のエピソードが、主人公の性格などに応じてかなり異なるテイストに仕上がっていることにも見受けられる。例えば1945年出身の三浦慶太郎のエピソードでは、以下のような戦争映画を思わせるキャプションが挟まるなど、 SF チックな他のエピソードとは一線を画する演出が多く見られる。

Image from Gyazo

最終的に明らかになるこの世界の全貌は、相当複雑に込み入ったものだ。これほどの規模で風呂敷を広げる SF 、昨今話題の『三体』に勝るとも劣らない魅力を持っていると、誇張なしに言える。他のレビューサイトの言葉を借りればまさに「狂気」だ。こんなゲーム、どうして作ろうと考えて、なぜ作り上げられたのか不思議でならない。真似ようと思って真似できるものでもない。

それほどに「クリア」することが難しいゲームでありながら、自分としてはプレイ自体あまり苦痛なものではなかった。おそらく、追想編のエピソードがフルボイスで再生しても10〜20分程度で終わる細切れなものを組み合わせて出来上がっており、さらに崩壊編が別で設けられていることで、エピソードの間に別のゲーム要素が挟まることなく物語だけに集中できるので、プレイのハードルが低かったのだろう。実際、たまに暇のあるタイミングで少しずつ進めるような形でプレイしていて、結果として2月に買ってからクリアするまで5か月をかける羽目にもなったのだが。

物語が魅力的なのは先述の通りだが、キャラクター、機兵、世界観、イラストといった要素も実によく刺さる。1985年の日本ということで、ノスタルジックな雰囲気でありながら、その街のど真ん中にはおよそ2020年現在でもありえない、無骨でメカメカしい機兵が鎮座するのである。ノスタルジーオーバーテクノロジーという、相反する要素が上手い具合に調和したイラストは見ていて気持ちがいい。また追想編を進めると、最終的に13人全員が機兵の起動シーンを披露して最終決戦へ向かうのだが、このシークエンスがどれも非常に滾るものになっている。

Image from Gyazo

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キャラクターも一癖二癖ありながら、結果としては誰もが魅力的に見えてくる。個人的には比治山と東雲がお気に入りだ。比治山のエピソードはなんというか、非常に良い癒やしだった。こういうキャラクターが1人はいたほうが肩の力が抜ける。東雲は第一印象最悪だったものの、ラストの展開を見たら肩入れせざるを得なくなった。誰も彼もが二面性、なんて言葉では表しきれない多くの面を持っていて、故に、何かしらの魅力を覚えることができる。プレイ済みの人であれば、以下の 4Gamer.net の記事を読むと、またさらにキャラクターへの理解が進むのでオススメしたい。

最後に、これは言うべきではないのかもしれないが、このゲームがヒットしているこの2020年に、同人誌即売会が軒並み中止になっているのが残念でならない。これほどの多層性と、多彩なキャラクターを持ったゲームは、ファンが語ってこそより深みを増すはずだからだ。発売から半年以上が経過したが、まだまだ語れることは多くあるはずだし、今後もこのゲームを語る者が増えることを期待している。

*1:実際のところ、何度か死んだ。そして「直前から再開」ということは、深くチャートを遡らなくとも、デッドエンドは回避可能ということ。