the world was not enough

物語偏愛者の詭弁と戯言

liminal space

liminal space なる語と、それにより表現される写真群が最近 Twitter で回ってきた。海外で流行っているとのことだが、具体的に何が流行っているのか。僕もなんとなくこういう雰囲気は好きなので食いついたのだが、これは単に「人のいない建築物や市街地」程度の定義でいいのかどうなのか。

liminal 、辞書的な意味だと「閾」や「境目」と訳せる。近しい語では liminality というものがあり、これは民俗学者のファン・ヘネップが「通過儀礼」への言及の中で使っているらしい。さらにヴィクター・ターナーが彼の理論を引き継ぎ、人がある社会集団に属している状態から、別の所属へと移り変わるような過渡期、個人が曖昧な状態に置かれるときを指して liminality と呼んだそうだ。

Image from Gyazo

liminal space という概念も、こういった境界における曖昧さ、不気味さ、不安、喪失感といったものを呼び起こすような場所を指すようだ。そのため主には廊下、通路であることが多いようだが、待合室、階段、駐車場、といった場所も含まれてくるし、ミームというのは往々にして徐々に意味が拡大するものなので、単に「誰もいない空間」も含まれるようになっている。あるいは liminality の原義に照らせば、空港、ホテルの一室、その名の通りの「境界」である国境なども liminality に含まれてくる。以上、だいたいは Wikipedia と Fandom から拝借しただけだが。

この話題に出会ったきっかけは『ぱらのま』などで知られる kashmir 先生のこのツイートだった。この感覚はすごくよくわかる。地方の公共施設や駅を訪れたときの、妙に人気がなくてうら寂しい感じとか。特に新しい施設のときにこれはよく感じる。少し失礼な言い回しになるが、その地域のために気合いを入れて作った綺麗なハコ物の中に、実際には誰も訪れていないその瞬間に、その場所の社会性にもコンテキストにも一切無関係な自分がたまたま出逢い、トイレを借りたり、少しだけ椅子で休ませてもらったり、自販機でジュースを買わせてもらったり、ちょっとした地域のクーポンなどをもらって益を得る、そのどこか不安定な感覚。 kashmir 先生は「違うかもしれない」と書いているが、この感覚はまさに liminal なんじゃないかなぁと、僕としては思う。

Image from Gyazo

あるいはただただ「人のいない建築物」というだけでも好きだ。西新宿の地下道とそこから繋がっているオフィスビルのあたりを休日にうろうろするのとかが大好物だ。大手町の少し奥のほうもいい。品川駅港南口はもう少し人が少なければ最高だが、あそこは案外休みの日でも人が多い。多くの人を収容し、労働に駆り立てるために設計された都市空間が、休日だけはその本来の意義を失い、ただ空虚で巨大な空間に成り果てているのがいい。

Image from Gyazo

実は「人のいない街」にはそんなに興味がない。なんだろうな。街という単位だとちょっとぼやけるというか。ある種の建築物というのは、明確な社会的意味を持って建てられている。公共施設であれば、その街の住民に対する公共サービスの窓口であったり、その建物自体が福祉の一環であったり。オフィス街であれば労働のためであったり。通路や廊下であればどこかへ人を導くためであったり。僕が好きなのは、そういった社会的な意味が喪失された感覚なのだと思う。街というのも何かしらの目的に特化して造られた場合もあるが、例えば渋谷のスクランブル交差点というのは多様な「意味」の集積点であり、何か特定の目的で存在するわけではない。だから、そこに人がいない瞬間というのがただの偶然性でしかない、日常との違和感程度の意味合いしか感じられないというか。そこに本来あるはずの「意味」を逸脱する、そういう不安感がほしい。そしてその場所にいる自分もまた、その土地との関連の薄い不安定な状況であると尚良い。地方の公共施設で感じる感覚というのは、何もかもが不安定で曖昧な、そういう空虚さなのだと思う。

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逆の感覚で言えば、休日にどこかへ遊びに行くとき、なんとなく会社最寄りの駅を通るのは避ける傾向にある。別に仕事をしに行くわけでもないのに、その場所にいる、通過すること自体が、社会的な桎梏を自分に思い起こさせる。別に仕事が嫌いなわけでもないのだが、休日ぐらいはそこからできる限り自由でいたいと思う。その「自由」を求める感覚が最大限に達したときに、よく一人旅をする。あらゆる「意味」から逃れた場所を目指す。最初から意味が希薄な場所ではなくて、意味から「逃れた」場所がいい。コロナ禍になってからなんとなく気が晴れないのは、今いる場所の「意味」から容易には抜け出せなくなったことも、一端にはあると思っている。

Image from Gyazo

掲載した写真はすべて僕が撮影したもので、僕なりに解釈した liminal space に当てはまりそうなもの。