the world was not enough

物語偏愛者の詭弁と戯言

『平成ネット史(仮)』 - それぞれに自分のネット史がある幸福

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自分は落合陽一と同い年なので、ということは平成とも同い年みたいな感じで、だから平成ネット史というのは、自分が産まれてから今までを振り返るのと、ほぼ等しい話になる。実際に自分がインターネットに初めて触れたのはおそらく小5か小6なので、正確には人生全部ではなく20年ぐらいを振り返る営みだけど、物心がつく年齢というのもちょうどその頃なわけで、感覚的には「人生」の振り返りにほぼ等しい。

思うのは、インターネットの歴史というのは「社会の歴史」であり「自分の歴史」であると捉えてる人が多いのではないかということ。特にこの20年、30年インターネットと共にあった人というのは、この目覚ましい技術発展と、それに伴う多様な悪ふざけを傍らで、あるいは自らが当事者となって楽しんできたわけで、それは落合が番組内で言っていた通り、まさに「青春」と呼べるものだったりもする。インターネットは平成の間、良くも悪くも常に賑やかで、話題には事欠くことがなかった。俺はあのときちょうどこれをリアルタイムで見てたんだとか、あのときのあのスレにいたんだとか、そういう経験を、CRTモニタの向こう側にある他人事としてではなくて、自分の経験として積み重ねてきている。だからみんな一言言いたいし、先達ぶりたい(俺も含め)。それは知らない誰かの歴史や、押し付けられた歴史じゃなくて、間違いなく「私たちの歴史」なのだから。

この番組は、その点をとてもよくわかっていたんじゃないかと思う。インターネットがある程度は共通体験を提供し得るとは言えど、人によって経験してきたサービスや文化は異なっている。俺も例えばアメブロ文化はよく知らないし、テキストサイトはあんまり見てなかったので話に乗れない。だからこれは唯一解としてのネット史ではないし、そもそもインターネットとはそういう性質の場所だ。Twitter などで色々言っている人もいるようだけど、番組の最後に宇野常寛が「2時間じゃ全然足りないし、終わったらどうせ『アレがなかった、コレもなかった』って言われる」って先回りして言及してしまったので、もうそこで終わりじゃないかなーと思う。人それぞれに歴史があるのが、インターネットという場だった。それを十分に理解した上でなお、マスメディアという最大公約数的な立場から、平成のインターネットをまとめたいという意欲があった、ってだけで、なんか十分じゃないだろうか。

しかしツッコミがあるのはいいとしても、「tsudaる」という言葉が存在していたことをフェイクニュースだと断じて噛み付いている人が少なくないのは、嘆かわしいというか、なんというか。「流行った」というレベルだったのかは知らないけれど*1、今でも少しググれば「tsudaる」に言及している2010年頃のページやネットニュースは簡単に見つけられるのに、自分が知らないというだけでフェイクと決めつける人がこれほどいるということに驚いてしまう。この番組の視聴者層に「ggrks」が通じないとはちょっと想像しなかった。番組の中で触れられた「最近のTwitterは殺伐としてしまった」という言葉が番組公式アカウントを通じて実現される皮肉。この30年のネット史の帰結がこれです、というのは笑うに笑えない。なんともひどいインターネッツですね。

一応自分の話を書いておくと、最初に使ったサービスは magnet だった。NTTとサンリオが運営していたコミュニティサービスで、そこでゲームをしたり、他のユーザーとメッセージを送り合ったりしていたのが最初。親もそこで他のユーザーと交流をしていて、その繋がりで小学生の頃にオフ会にも何度か連れて行かれた。でもそれにはすぐ飽きて、中学生の頃は GeoCities でホームページを2回か3回公開したり、 JavaScript で簡単なゲームを作ったり、ネットではないけれど、 Illustrator で小説本を作って仲間内で回し読みをしたりしていた黒歴史がある。ある意味自分のオリジナル同人誌作成は13歳ぐらいに遡るわけである。インターネットはどちらかと言えば小説を書くためのネタを漁る場だったし、当時オタクな友だちがプレイしていて影響を受けたサクラ大戦について検索しまくったりしていた記憶がある。あとギャラクシーエンジェルが好きでした。日曜朝のテレ東は、今じゃ考えられない悪魔みたいなオタク製造機でしたね。

高校の頃は部活バカだったのでインターネットからは離れて、戻ってきたのは大学に入ってから。大学で入ったサークルが偶然オタクとギークの巣窟みたいな場所だったので、部室では常にニコニコ動画の空耳動画とかが流れていたし、 mixi にはほぼ強制的に入らされた。 2ch は多分この頃一番よく通っていて、ハルヒの「エンドレスエイト」のときは毎週実況スレに張り付いて「今週もループ脱出しねーwww」ってゲラゲラ笑ってた。その頃にニコニコ動画はてなのアカウントを取ったときから、この「chroju」というハンドルを名乗っている。もうそこからは完全に地続きというか、この歳になると10年前なんて昨日みたいな感覚だから後は雑に書くけど、初音ミクVOCALOID に触れたことで人生は大きく変わったと思っているし、 iPhone 3G を毎月維持するお金は学生にはなかったので、 iPod touch で我慢して、それでもだいぶ興奮したこともよく覚えている。でもあのカスタマイズ性の低い UI はなんか好きになれなくて、2010年からずっと Android を使ってきている。東日本大震災のときには一人暮らしで不安しかなくて、布団を被ってずっと TwitterNHKサイマル放送(や Ustream )を眺めていて、余計不安になってしばらく辛かったのを覚えている。

番組の中では、東日本大震災がネットとリアルを近付けたと言っていた。自分にはその考えはなかったのだが、あの震災で TwitterSNS の可能性が大きく取り沙汰されたのは確かだ。もちろん、2011年は iPhoneAndroid の普及期の初期にもあたるわけだし、一概に言えるものでもないとは思う。それにしても、ここまでリアルとネットが近づくとは、自分は想像をしていなかった。

リアルとネットが近づいて、ネットリテラシーやマナーなんてものを身につける間もなく様々な人がシームレスにインターネットに繋がるようになって、良かったのか悪かったのかとかは、もう何とも言いようがないし、ホリエモンも言っていたが、なるようにしかならない。ひどいインターネッツは今もそこにあるし、今後も在り続けるのだろうとは思うけれど、個人的な思いとして唯一望むのは、ここは常に自由であってほしい。与えられた歴史ではなくて、いくつもの点が線になって、次の元号においても歴史を「紡げる」場であってほしい。それがひどいインターネッツだろうがなんだろうが、だ。「平成ネット史」を我が物として語り合えること自体が、この時代の幸福だったのだと思うし、その幸福を今後も喪ってはならないと、インターネットを愛する者として感じている。

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*1:自分の周辺では少なくとも「流行っていた」と当時感じた。