ようやく仲間に入れてもらえたような気分

映画『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』のポスター写真
英題が『The Sorcery of Nymph Circe』であることに痺れる

『閃光のハサウェイ キルケーの魔女』を見てきた。とてもよかった。昨年の今ごろは、まだ1stガンダムを見終えてもいなかったのを考えるとなんかすごいなって自分で思う。

『閃光のハサウェイ』は『逆襲のシャア』の続編にあたり、『逆シャア』で幼いながらに辛酸を舐めたハサウェイのその後が描かれるわけだが、この1年で1st、Z、逆シャアを見て、閃光のハサウェイに繋がる物語は一応全部終えていた。シャアとアムロの出逢いから決着までを見届け、その二人に大いに影響を受けたハサウェイの物語を味わえるようになってしまった。これで自分は、宇宙世紀に関するガンダム作品はある程度見られる素養ができたわけで、『キルケー』もリアルタイムで見て楽しむことができて、今はハサウェイ第3部の公開を楽しみにしている。楽しめるコンテンツの幅が広がったことが、ただ嬉しい。 ガンダムには、一生触れずに生きていくと思っていた - the world was not enough と書いてから約1年で、一生触れられそうなコンテンツになってしまった。ジークアクスに期待されたであろう戦略に、まんまとハマっているようには思う。

長い物語というのは途中から入っていくのが難しくて、それ故に、楽しめている人たちを羨ましく思うことがある。例えばそれは大河ドラマやニチアサの特撮などで、あれらはいずれも1年間かけて放送していくわけだが、今週の展開がどうだっただの、来週はどうなりそうだのを語っていたり、ファンアートを描いていたり、そういった様子が放送後のTwitterにはずらずらと流れてきたりして、なんだか面白そうだなぁ、気になるなぁと思わされるが、すでにその年の半ば頃になっていたりすると、それまでの話を追いかける手段にも乏しく、手段があったとしても労力やお金が必要だったりして、結局だいたいの場合は諦めてしまう。コロナ禍で時間が余っていた折り、『青天を衝け』と『鎌倉殿の13人』を1年完走したことがあったが、ドラマも素晴らしかったし、終わってからTwitterでいろんな方々の感想をつらつら眺めるのも思っていた通り楽しくて、ようやく仲間に入れてもらえたような気分だった。

ましてガンダムとなると、原点となるアムロとシャアの戦いをすべて見るだけでも、『機動戦士ガンダム』、『機動戦士Zガンダム』というテレビ版が合計約90話あり、さらに『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』で映画が1本ある。1stとZは再編集やリメイクされた映画版三部作も存在するが、ストーリーが変わっていたりもすると聞いたので、まずはとテレビ版で見ることにしたが、本当によく完走できたなと自分で感心している。実際のところスムーズに全部見ていったわけではなくて、さすがに古いアニメではあるし、4クールともなると中だるみするような回もあって、Zに入ってから数か月停滞したりもしたのだが、昨年の年末年始になって「もうすぐハサウェイの新作が上映される」のを思い出し、ならばそれまでの作品を全部見て、新作は劇場で観ようと一念発起して1月に頑張ってどうにかした。

スターウォーズに近いものを感じる。全体の柱になる、オリジナルの物語が根幹として存在するが、それらは時代がとびとびだったり、本編では描写されず断片的に語られる設定があったりして、そういった間隙を埋めたり後の時代を描く形で、続編や外伝を作る余地が無数にあり、現在まで制作が続いている。続編や外伝を作るのには、必ずしもルーカスや富野が関わっているわけではないので、時に賛否両論を呼んだりもするし、設定が矛盾したりすることもある。小説なども含めたマルチメディア展開しているところも近しい。新作からいきなり見始めるのもできるけれど、やっぱり根幹の部分はちゃんと見ておいたほうが、より深く楽しめる。

面白かったのか、と言われると、やはり古いなぁ、と感じてしまうところもあって(女に惑わされるキャラクターが多すぎないか。乗り越えてくれ、世俗も肉欲も)、すべてがすべて楽しめたわけではないが、全体としては好きになれたし、特にZが好きだった。というかシャアが好きだし、シャアのことはみんな好きになるんじゃないか。1stで敵として散々鬱陶しいほどの活躍をされたあのシャアが、Zでは第1話からなんかサングラスかけただけのやる気のない変装して味方側にしれっといるんですよ、というだけでもう面白い。「これが若さか」のシーンは不意打ちだったのもあって腹抱えて笑ってしまった。

そういったネタっぽい要素を抜きにしても、Zは続編として熱かった。シャアがアムロと再会するときの「何をする気だ、アムロ!……アムロだと!?」の台詞が特にたまらなかったのだが、そういった展開を経て、シャアのいる陣営には1stでアムロと一緒に戦ったホワイトベースのクルーたちも次々加わってくる。しかしかつての宿敵もいいところなのに、誰一人シャアに殴りかかるとかそういったことをしない。戦争は終わったのだからもうノーサイドだし、今は志を共にする強力な味方なのだ、という理屈はわかるが、そんなに割り切ってロジカルに戦争というものを生きていけるものなのかとフィクションながらに驚かされるものがあった。あまりそういった背景や心情の機微を直接説明する台詞を使わず、淡々とテンポよく進んでいく作品だから、なおさら「あえて語らずに難しい関係性を作り上げていること」に舌を巻く。一方で、『逆シャア』であまり経緯が語られないままに、いきなりシャアがダークサイドの果てまで落ちていたのは飲み込み切れず、腑に落ちなさを抱えたまま終わってしまったところはあった。

そこからの『閃光のハサウェイ』は衝撃が強すぎた。そもそもにして、1979年の1stから、1988年の逆シャアまででもアニメーションの著しい進化を感じたが、そこから約40年を経たハサウェイはアニメの技術が飛躍的に進歩しているだけじゃなくて、単体のアニメ映画としても質が高かった。モビルスーツにリアリティがあり、まるで現実の戦闘機のように見えてきて、ロボットアニメというよりはハリウッドの近未来SFミリタリーでも見ているかのような映像だった。さらには台詞回しが憎すぎる。やはり説明台詞は少ないのだが、1stやZの比ではないぐらいに削ぎ落とされていて、一度聞いただけじゃ意味がわからないシーンもいくらかあるぐらいにハイコンテキストになっている。実写映画ではよくあるけれど、日本のアニメ映画で、ここまで無駄をなくして画面全体で語るような映画は初めて見たかもしれなかった。アニメを見ているのだ、ということを良い意味で忘れられて、自分は今映画を見ているのだ、という実感だけが痛烈にある。新海誠が、実写映画にある「カメラ」という要素をアニメの中に持ち込んできたが、ハサウェイも実写映画から間のとり方や会話の組み立て方、画作りなど、様々な要素を持ち込んできているように感じる。僕は原作を読んでいないが、この台詞回しは原作を踏襲しているんだろうか。本当に、ただただ映画として没頭してしまった。

ちなみにMSの中ではサザビーやナイチンゲールが好きだ。あの重厚感や曲線的なボディラインが好きで、ふと思い出したのは『パトレイバー』に出てくるグリフォンで、ああ、自分は出渕裕が好きなのだと気付いた。ということで、今は5月公開の『機動警察パトレイバー EZY』を楽しみにしているのだが、やっていることがもう完全におっさんではある。楽しいから全然いいんだが。