the world was not enough

物語偏愛者の詭弁と戯言

仲谷鳰『やがて君になる』 - 恋と理屈

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恋は心でするだとか本能でするだとか、とかく考えても頭でどうしようかと思い描いてもその通りにはならないものであり、ままならないから恋なのだというのはよく言う話ではある。もうすぐ『とらドラ!』の Complete Blu-ray BOX が出るわけだけど、あのアニメはかつて「ひるドラ!」なんていう揶揄があったぐらいにそりゃもうドロドロと、ままならない恋心と、それを抑えつけてどうにかせねばという、いろいろと打算的に考えた各々の思いがグサグサと思いもよらぬ方向へ刺さりまくり、なんとも見ていていたたまれない、見ているこっちが辛くなるようなアニメだった。しかし恋とはそういうものということで、抑えきれない思いが抑えられるのか抑えられないのか、あるいはそれがすれ違ってしまうのかという、「感情の行く末」こそが恋愛ものの見どころとして大きい。蓋し、とらドラ!最大の名言は、あーみんの「罪悪感はなくなった?」なわけである。

やがて君になる』の、橙子から侑への恋は、打算的だ。3話で明かされた、「なんで七海先輩はそんなにわたしのこと好きなんだろう」に対する答えは、「侑だけは私を特別だとは思っていないから」というものだった。それは人を好きになる理由というよりは、人を好きになることを許されたメカニズムに近い。周囲から「特別であることを」を期待されていると感じる橙子は、その立場から降りられる相手を「好き」だと感じた。降りられるからこそ、その相手が特別になった。それに対して侑は。

誰かを「特別」と思う気持ちがわからないという同じ出発点から、一足飛びに「特別」を手にした橙子と、その特別をぶつけられて、戸惑いながらも、いつかは自分も「特別」に届くのだろうかと、確かめながら関係を模索していく侑と、その関係はとてもスローで、とても丁寧に描かれていく。橙子の愚直なまでにストレートな愛情表現というか、それは「自分を特別と思わない」相手に向けるものだけに、むしろ甘えるかのようなしぐさや言葉はとても可愛らしくて、見ていてドキドキするけれども、侑がどんな場面でも、たとえキスをされても冷静なままで、関係が何か目に見えて進むということが少ないのはもどかしくすらある。

ただ、それ故に理由もわからない恋心という曖昧なものにただ飛びつくだけの恋愛関係ではなくて、それを客観視しながら手探りで近づいていき、少しずつ何かが変わっていくのを眺めていけることは、贅沢とも言える。「どれだけわたしのこと好きなんですか」なんて、言われればドキリとする台詞の頂点にすら思えるけれど、言っている本人は極めて冷静という、橙子と侑の関係だからこそ出てくるバランス感覚で成り立っていてグッとくる。自分はすでに原作を最新刊まで読んでいるが、一つひとつの思いや答えを言葉にしながら、あるいは演出や表情でつぶさに描きながら、余すことなく彼女たちの心を、その関係の変化を伝えていこうという、このマンガ全体に流れるゆるやかな時間や雰囲気が好きだ。すでにアニメ化されているところでは、このシーンなどは2人の内面の違いが如実に表されていて面白い。

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アニメもまた、決して急ぐことはせず、こういった何気ない描写を落とすこともせず、むしろ描写を強めるところは強めて、原作を大切にしているのがよくわかる。このマンガだけは大事に描かなきゃだめだ、ただの有り体な百合作品にしてはだめだと思っていたが、今のところ杞憂に終わっていて幸いと言う他ない。

誰かを特別に思うとはどういうことなのか。侑はそこに辿り着けるのか。橙子は、その打算的な恋を、そのまま貫き続くのか。その先は見たいようで見たくないようで、少しこわい。