the world was not enough

物語偏愛者の詭弁と戯言

Pokémon Special Music Video 「GOTCHA!」


【Official】Pokémon Special Music Video 「GOTCHA!」 | BUMP OF CHICKEN - Acacia

いや、こんなん泣いちゃうでしょ。20年分の感情という名の化け物がほんの2、3分に圧縮されて、その密度をもって全力で殴りかかってくるような、そういう体験。20年という時間差による猛烈な位置エネルギーによって相手は泣く。……何を言っているんだろう。

深夜にえらいものを見てしまったというテンションで書き始めたのでどこに行き着くかもわかんないんだけど、なんか書かずにはいられなかった。最初ポケモンのエキスパンションパス等々発表のプレミア公開をライブで見ていて、これが流れて、その後何回かリピートして見て1時間ぐらい興奮していて今という感じ。

ポケットモンスター ソード・シールド』の DLC にあたるエキスパンションパス第2弾「冠の雪原」リリースに合わせて作られた MV 、というような説明だったのでまったくもって油断していたのだけど内容はこの20年以上に渡るシリーズをすべて振り返るようなもので、そこに活動時期がほぼ重なっている BUMP OF CHICKEN の曲が流れるので、僕と同様アラサーぐらいでポケモンをある程度追いかけていた人にはぶっ刺さる内容になっている。ジムリーダーあたりだと、ともすれば忘れているキャラも多かったりするかもしれないが、サビの部分で大きくピックアップされているのは歴代の自分の分身たる主人公とそのライバルや、印象深かったであろう、ラスボスにあたるチャンピオンたちが主で、記憶の底のほうに、でも確かに沈んでいたものを、少しずつきちんと拾い上げていってくれる。

正味2分ほどの MV なのだが、情報量がひたすらに多い。1人のキャラにつき、もしかしたら1秒もないかもしれないカットの中で、それぞれのキャラの個性、性格、設定にマッチした表情、動きを的確に表現してくれる。初代ライバルとして立ちはだかったグリーンの不敵さ。当時、それまでのシリーズではあまり類を見ないような闇を抱えていた N の暗い眼と、その奥に映るもの。チャンピオンたちの魅力、シロガネ山で対峙する金銀主人公とレッドの緊張感、アローラの明るい雰囲気、2年の歳月を重ねるBWメインキャラ陣、笑顔の練習……と言いつつ、ゲームのポリゴンだと限界のあったマリィの表情、ゲーム本編でもなかなか感じられなかったぐらいの「兄弟」感を覚えさせる、ホップとダンデの構図の重ね合わせ、地味に人気のあるサブウェイマスターたちをきっちり入れ込んできていたりなどなどなどなど。思い出深かったゲームの一場面や、見たいけど見られなかったようなキャラクターたちの躍動を鮮烈に描いてくれている。最後に登場するのが、各シリーズで冒険の行く末を見守ってくれる「博士」たちなのがまたすごくよくて。あと、ソード・シールド主人公の登場シーン、最初「男の子」が出てきて、それがふっと「女の子」へと変わっていく演出とかたまんないものがあるし、まぁ本当に語り出すと停まらないわけで、こんなの。

手がけたのは監督に松本理恵、キャラクターデザインや原画等に林祐己という布陣で、これまでアニメ『血界戦線(第1期)』や『京騒戯画』などを制作してきている。このあたりを振り返ってみると、全体的に賑やかでカラフルな画が共通していて、今回の出来にもなるほどと納得させられるのだが、特に僕が思い起こしたのは、以前このブログでも言及した『血界戦線』、その OP と ED。

chroju.hatenablog.jp

OPのBUMP OF CHICKEN『Hello, world !』で言えば、ヘルサレムズ・ロットに外からやってきたレオが、ライブラの超人的な面々の「必殺技」に翻弄されるような周回カット、そして彼がやってきたそこが、遊園地のような綺羅びやかなメタファーで表されるのがグッとくる。そこは生きるか死ぬか、どちらかと言えば戦場に近い場所ですらあるはずなのに、OPにおけるこの表現は、そこで懸命に生きる生への祝福と、すべてを楽しんでやろうという度量が満ちていて、この作品のコンセプトそのもののようにも見える。

EDのUNISON SQUARE GARDENシュガーソングとビターステップ』も同様に、正装でダンスパーティーを繰り広げるライブラという一連の流れと、端々に挟まれる血や涙のカットが、喜びと哀しみのほど良い緊張感を醸している。

このときの映像も、今回の映像も、喜びや悲しみや、強さや弱さや、あらゆる側面を1つの映像の中に隣り合わせで内包させるのが本当に上手い。『血界戦線』はバトル漫画の体をしつつ、あくまでもヘルサレムズ・ロットという異形な街で如何にして「生きる」かということに焦点を当てた「日常もの」だと考えているのだが、ポケットモンスターという作品も、ゲーム内では当然ながら「ポケモン」という存在と共にする生活や日常がそこにあり、一方でゲーム外の我々にとっても、ポケモンというのは子どもの頃学校から帰って友だちと遊んだり、映画を見に行ったり、あるいは大人になってからですらグッズを手にしたりする、日常そのものだ。プレイしたゲームによっては、面白かったものも、それほどでもなかったものもあったかもしれない。バトルで勝ったり負けたりもしたし、あまり好きではないキャラもいたかもしれないし、そしてそれらの思い出も、大人になってからは思い出さなくなったりしていたのかもしれないが、今回の MV では、そのすべてを並列にすくいあげて、あの頃のドットでの表現だと想像するしかなかったキャラクターたちの立ち居振る舞いをこれでもかというぐらいに「再現」してくれた。冒頭に、この MV の主人公たる男女2人が、ポケモンとともに育ってきた日々がフラッシュバックするカットがあるが、あれは MV を見ている僕らのこれまで、そのものだろう。そして最後に紙吹雪がキラキラと舞い散る中、笑顔で旅立つ2人の姿は、これまでとこれからの道筋を祝福しているように思えてならない。

自分を形作ってきてくれたものなんて、つぶさには覚えていなかったり、意識していないものがたくさんある。でもこうして改めて「向こう」から逢いに来てくれる機会が不意に訪れると、年齢も忘れて胸を熱くしてしまう。まぁ自分はこういうブログやってる人間なので、人一倍こういったカルチャーの影響を受けてきている自覚はあるが、それにせよ、不意打ちのように少年時代や大学時代の自分が画面の向こうからやってきたような、そしてあの頃が当然ながら今と地続きであることをもう一度思い出し、それを前向きに受け止めたくなる、そういう映像だった。血界戦線が好きだ、というのは漫画もアニメも通じて今も変わらないのだが、もう1つ、「彼ら」の作る映像が好きだったんだなということを今回初めて認識できた。なんというか、これほどに生を、日常を端的に肯定してくれるようなアニメーターたちを他には知らないかもしれない。そして僕もまた、人間というものを、彼らの生というものを無条件に言祝ぎたいし、そういう作品を愛していたいと強く感じている。

いわゆる「アニポケ」という長寿アニメを抱えながらも、その時々で他の様々な会社へアニメ制作を下ろしている、ポケットモンスターのメディア戦略というのもまた面白く感じている。アニポケ以外でソード・シールドのキャラクターたちがアニメ化されるのは、『薄明の翼』に続きこれですでに二度目なわけだが、優しいタッチでアニメ化された『薄明』とはまた異なる魅力を今回見せてくれた。複数パターンのアニメ化を見られる作品というのもそう多くはないわけで、このようなメディアミックス戦略が取られているポケモンという作品は、本当に幸福だなと思っている。