2020年9月 - 零號琴 / プロジェクトセカイ / デカダンス 他

インターネットだとリアルの書店やレコード店などと違って、「偶然の出会い」からは縁遠くなってしまうみたいな話があって、それはそうではあるんだけど、 Spotify はレコメンドで自分が好きなものも、いまいちなものもそこそこ連れてきてくれる感覚があって。というかドンピシャな曲ってむしろなかなか出てくるものではなくて、思いもよらぬタイミングでふっと耳を奪われるのが好き。先月は『幸福論』の良い感じのカバーがあるんじゃん?!とびっくりしたらレキシのそれで、ヘビロテしたりとか。レキシ、ぶっちゃけネタみたいな曲しか歌わないというひどい偏見持っていたんだけど、いい曲作りするんじゃんって、これは Spotify じゃなきゃ出会えなかったのかもな、と。

あとはクリプトンの Kiite が、いつのまにか PWA 対応していて、スマホでネイティブアプリのように使いやすくなったので最近ちょこちょこと使っている。ボカロ曲を流しっぱなしにする感覚はずいぶんとご無沙汰していて、それ自体非常に懐かしい。そもそものニコニコ動画自体、「偶然の出会い」だけから成る音楽コミュニティであったわけで、ネットでも出会えないわけでもないんだぞ、と思っている。

飛浩隆『零號琴』

零號琴 (早川書房)

零號琴 (早川書房)

第50回星雲賞長編部門を受賞した、飛浩隆の長編。装丁からは重厚な SF を想像していて、それは別に間違いではないのだけれど、かなり日本のサブカルをも織り交ぜた異色な読み応えで驚いた。

惑星「美縟」の都市自体が楽器へと変貌する、超巨大な特種楽器・美玉鐘。これを500年ぶりに復活させ、秘曲「零號琴」を演奏するとともに、それを記念して美縟伝統のサーガをアレンジした假面劇が演じられる夜、美縟の思いもよらぬ真実が明らかになる、という筋書き。飛浩隆らしい音楽をテーマにしていると同時に、特殊な「假面」を身につけることによって、演者が役柄の人格と一体化して演じる假面劇も重要なファクターとなっている。

假面劇は、元のサーガにどれだけ改変を加えようとも、演じるうちに自ずと元の筋書きに戻ってしまうという曰く付きのものである。それをどうにかして破壊するため、脚本家は人気番組『あしたもフリギア!』(言うまでも無く『ふたりはプリキュア』。他にも光線を放つ光の巨人「守倭(しゅわ = シュワッチ = ウルトラマン)」だとか、サーガに出てくる五体の神「五聯(ごれん = ゴレンジャー)」だとか、なかなかにやりたい放題である)のストーリーとキャラクターを導入するという大胆な手段に出る。一見するとふざけてるような展開なのだが、物語の破壊、物語の改編というテーマにおいて、「サブカル作品の二次創作」を絡めるのはむしろ王道と言っていいのかもしれない。アレンジは『フリギア!』最終エピソードの続きとして行われるのだが、この最終回がまた、わりと面白そうなのである。

仙核の内奥部はまじょによって巨大な時限爆弾に変質させられており、これが作動すれば旋都を含む数光年の時空構造が陥没し、ア空間に貫通する可能性が高いという。その影響は旋都の周辺にとどまらず、轍世界ぜんたいに災害を波及させるおそれがある。爆弾の作動 を止めるための近道はなく、外側から順に——大時計を構成する三百六十もの異なった時間に分け入っていくしかないのだ。 (中略)最初の区域に進入したなきべそはそこで展開される情景に驚いた。 それは「あしたもフリギア!」第一シーズン 〈光の旋隊〉の第一話、〈赤いフリギア〉の誕生講そのままだったのである。蜜は、なぜか 〈赤〉の人と一体になり、青く発光する球体に身を包んだ敵と激闘を繰り広げるのだった。 三百六十の意味が明瞭になった。それは、劇場版やまだ見ぬ最終回をも含めた、「フリギア!」全シリーズの話数を足し上げた数字だったのだ。この場面がテレヴヴィで配信されたときに子どもたちが受けた衝撃といったらなかった。過去全話の名場面を、あたらしい作画で書き起こし、一回の配信の中に圧縮してめまぐるしい奔流として流したのだ。

終わった物語の続きを描く。不動の伝統的な物語を破壊する。そのとき、物語は如何なる姿を見せるのだろうか。

プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat.初音ミク


「プロジェクトセカイ」3DMV『スイートマジック』一部公開!

初音ミクVOCALOID を主役に据えるのではなく、 VOCALOID 楽曲とともに育ち、やがて自ら音楽の道を志す少年少女の側をメインとして、 VOCALOID はそれをサポートする存在に一歩後退した形を取っているのが大きなポイント。このあたりの背景については、ファミ通.com掲載のインタビューを読むのを薦めたい。

www.famitsu.com

従来、初音ミク自体にフォーカスし、彼女が常に中心にいたところから、時代に合わせて上手くシフトさせた形に見える。僕らからすると彼女はやはりクリエイターの渦の中にいた存在だし、マジカルミライの場もクリエイターをかなり重視しているのだが、すでに初音ミクの楽曲が飽和したセカイに産まれた世代の視点に合わせて、あえて消費すること、ともに楽しむことのほうにスポットを当てるのが、逆に新鮮に映った。クリエイターがいなくては、初音ミクは存在し得ないという強迫観念のような空気を感じることもあり、それは今でも一面では真理だが、一方で彼女はもう、歌い手として、仮想キャラクターとして独立した存在感も放っている。その一端を示すかのように、本作内のミクたちは、これまでなかったぐらいに自らしゃべる。こういった初音ミク像は、昨年のマジカルミライテーマソング『ブレス・ユア・ブレス』で歌われた、「生まれてしまった命」を思い起こさせる。


ブレス・ユア・ブレス - 和田たけあき feat. 初音ミク / Bless Your Breath - WADATAKEAKI feat. Hatsune Miku

ゲームなのだからいつでも「ライブ」は流せるのに、このゲームにはあえて時間を指定してプレイヤーに体験を共有させ、さらにあえて VR チックに、ジャイロセンサーを元として視界が動く、ライブ感を重視した「バーチャルライブ」が存在する。これが思った以上に良かった。暗闇の中で開演時刻を楽しみに待つワクワク感や、視界を右往左往させながら一人ひとりの動きを目に焼き付ける楽しみ方、そういった体験が実に「ライブ」的だったのだなということを知った。

Image from Gyazo

Image from Gyazo

僕の年齢からではもう若い世代がどう VOCALOID と付き合っているのかは見えず、リリース前はヒットするのかどうか不安に思いながら見ていた部分もあったのだが、蓋を開けてみるとかなり好評のようで、先行きを楽しみにしている。

初音ミク GALAXY LIVE 2020


【PV】初音ミク GALAXY LIVE 2020【Hatsune Miku】

一方で開かれた、本格的な初音ミクVR ライブ。スマートフォンを使った VR ライブでありながら、 VR 機材(スマホに取り付ける形の VR ゴーグルを想定している)がなくても画面の中でも楽しめる、という立て付けではあったが、実際視聴しているとやはり VR 向けではあったな、という感覚だった。

とはいえ、ステージで歌って踊る様をただ映像化しました、という形では無く、バーチャル空間内なのだから、どこにいるのかも、どんな演出であっても自由なんだという、10年来のバーチャルアイドルとしての格のようなものを見せつけられるライブでもあった。ATOLS『マカロン』のような、おそらくリアルのライブではなかなか実現しないであろうセトリにも新鮮さがあった。

Image from Gyazo

彼女が物理的に「顕現」する場として、マジカルミライが重要であることは今後も変わらないだろうが、その一方でバーチャルアイドルの特性を活かして、いつだってどこでだって、誰にだって届けられるライブができるのも彼女の存在意義であり、コロナ渦の中で、初音ミクのバーチャルライブの重要性というのも増していくのではないかと感じる。リアルの場も大事だが、世界を股にかけて曲を届けるようなバーチャルライブは、彼女だからこそ出来ることでもあると思っている。

デカダンス


TVアニメ『デカダンス』第12話「decadence」予告

インパクトのある奇をてらった導入で引きつけた作品だったが、一度キャラクターへ感情移入させたあとはあくまで王道のストーリーに終始し、下手に視聴者を揺さぶりすぎることなく締めていく構成が見事だった。最後まで本当に面白かった。

アクションの作画も申し分ないし、何よりナツメのキャラクターに救われた思いがある。女性との出会いをきっかけに転がる物語はよくある類型だが、ナツメが都合の良いキャラクター造形にはなっておらず、最後まで「組長」に悪態をつき、時に苛立ちながら寄り添っていた関係性に、バランスの妙を見た。