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そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

感動共有の難しさ

昔から割と自分の好きな分野に関する話をすると止まらなくなる質。要するにくくっちゃうとオタク体質なわけですが。でも、そういうのってなかなか受け入れられないことが多い。まァ当然っちゃ当然なんだけど、その僕の好みってものがたまたま相手の好みと合致しない限り、引かれるわけで。こっちのテンション次第じゃドン引きされる恐れもあるわけで。

だけど、やっぱり感動したものは伝えたいなァと思う。今でもボカロ曲*1でトンでもないのを発見したりしたときなんかは誰かに教えたくてたまらなくなります。だってスゴイんだもの。めっちゃ感動したんだもの。誰かにこの感動をおすそ分けしたくなるわけですよ。でもボカロ曲というのはなかなかね……。音楽好きでもオタク文化*2に興味がない人、オタク文化は知っていても音楽的に疎い人がほとんどで、どっちにも精通している人はなかなかいない。今は後者の友人にたまにボカロ曲を横流ししていますが、反応はどうもイマイチ。

「感動」って言うのは元来個々人の感情なんだから、それとまったく同じものを他者にも共有してもらおうというのは、なかなか難しいことなのかもしれない。映画観終わって出てきたとき、自分は「つまらん映画だ……」と感じたのに、相手が涙目だったときの気まずさといったらない。でも悲しいかな、人間は感動を共有したくなる生き物なんだろうと思う。少なくとも僕はそうで、すばらしいことはすばらしいとまっすぐに発信して、もし誰かが同じように「すばらしい」と思ってくれたなら、そのことを手を取り合って喜びたいと思うわけだ。

その点、ニコ動というのは感動共有に関して優れた場だ。批判厨や荒らしというノイズも多少はあるが、同じ動画に対して感動したもの同士が簡単に集まって、言葉を交わせる。特にリアルタイムで米が増えているときの興奮は形容しようがない。ブクマやはてダも同様の傾向を持つと思う。だから僕はここで、ボカロに関して書き続けているんだけど。

*1:これは特に扱い注意なんだな、引かれる可能性が倍ぐらいに跳ね上がる。

*2:……と、ボカロを一概に定義できるかには異論がありますが、初見の人には大体そう思われるので。