よふかしのうたと、ダンジョン飯と、映像消化能力と。

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『よふかしのうた』が終わってしまった。ジュブナイルであり、ラブコメであり、「探偵さん」のあたりはサスペンスチックであり、吸血鬼の生態やキャラクターの過去などを巡っては一種ミステリーのような時期もあり、コトヤマ先生自身もツッコミを入れていたがバトル漫画かよ、というような時期もあり、振れ幅の大きい作品だった。絵も好きだし、とぼけたような独特の会話のリズムが好きだったが、何よりこの作品が描く「夜」の雰囲気が好きだった。正直、20巻も続く漫画だと思っていなかったのでそれだけで満足だけど、終わるのはやはり寂しい。

良い漫画だった。Creepy Nutsも最高。

話題は全然替わるが、『ダンジョン飯』を見ている。1クールで良い具合に話の切れ目に達しそうなので、これで終わりかな?と思ったら2クール目に入るようで嬉しい。1話目を見た時点での感想は「マルシルかわいいな」だったが、徐々に「これはもしかしてライオスの変態性を楽しむ作品なのか……?」に変わっていき、1クール終盤に至っては、こちらもまたよもやこんな手に汗握るアクションになるとは思っていなかった。考えてみれば制作はTRIGGERなわけで。単に「よく動く」というだけではなく、ちょっとコミカルさが入った、見ていて楽しいアクションがTRIGGERだな、と思う。『リトルウィッチアカデミア』を思い出す。

異世界グルメもので課題になるのは味や食感の表現だと思っている。異世界の見知らぬ食べ物なのだから、我々も当然食べたことがない。それを如何に美味いものとして表現するか。ダンジョン飯はわりとそのあたりを、「原料は異形ではありますが、捌いて調理すると我々のよく知るアレっぽくなります」という感じで、現実の食べ物と似たところに落とし込むことで半ば割り切っていたような気がする。ミミックがロブスターっぽくなるとは思わないじゃん……?とか、テンタクルスって軟体動物のイメージなのになんでそんなバナナみたいになってんの?!とか。しかしそのおかげで想像はしやすい。いや、テンタクルスは酢和えにされてるから絶対バナナと味は違うし、ライオスが炎竜の味について「何かにたとえる必要はない、これはレッドドラゴンの味だ!」と言っていた通り、やはり「似ているアレ」とは実際全然似てはいないんだろうけど。

ダンジョンものの体を借りたグルメマンガを想像していたのだが、力点はそこだけにあるわけではなく。ダンジョンというのは不可思議な理でうまい具合に成り立っており、我々の生活とは切り離されたものです、とするのではなくて、実際にはそこにいる生物を食べようとすれば、我々が日々食べているものと似た感じにもなるし、彼らは彼らでまさに地に足着いた生態系をしっかり営んでいるのだよ、という、誰もが知る「ダンジョン」を生活や現実の延長に位置づけたときにどうなるか、それをどう解釈するか、生命は如何に巡っていくか、というところを描く、マンガでありアニメなのだなと感じる。ダンジョンにおいてはお決まりの「死者蘇生」も序盤から特に説明なく世界観に組み入れられるが、なぜそれが可能なのか、ということについては後に触れられる。もちろん、魔法というブラックボックスによって説明を省いている部分も多々あるわけだが、なるべく背景を説明しよう、現実と繋げていこうという意思が見られる。

それに気付くと、これはSFじゃん、と捉えるようになり俄然楽しくなってきた。かけ離れた非現実を、空想科学によって現実に繋げようとする試みってまさにSFだ、と、自分は思っている。何がSFか?の定義は宗教戦争をもたらすのであくまで僕の定義としてだが、と断ってはおくが。『竜のかわいい七つの子』に収録されている、九井諒子の過去の短編『狼は嘘をつかない』では、「狼男症候群」という架空の病について、「珍しい病気の息子に悩む子育てエッセイ」風に描いた一節がある。これもまた同じようにSFっぽいな、と読んだときに思った。

最近は映像消化能力が低下しており、1クールに見られる作品が2本か3本ぐらいになっている。今はこれと『光る君へ』ぐらい。フリーレンも話題に乗りたいんだけどな。