そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

サイハテ1周年に寄せて

※自分なりの解釈を書いています。未見の人にはネタバレになるかもしれません。

アカウント非所有者にも一度聴いてもらいたいので、直に貼っておきます(笑)

初音ミク楽曲の中ではトップクラスの人気を誇っている『サイハテ』、自分も大好きなんですが今日で投稿から1周年だそうで*1。1年で再生数が92万ちょっと。100万にはギリギリ届かずってところですけど、まァ近いうちに達するでしょうね。

作者自身が語っていることでもありますが、詩、曲、PV、歌の4つがうまい具合に補完し合った完成度の高い楽曲だと思います。もっと言えば、それらが密に重なり合うあまり、極めて「閉じた完成度」を持った曲とでもいいましょうか。特にPVのインパクトはすさまじいものがあります。

そもそも「ポップ・レクイエム」というジャンルが考えてみればおかしいんですよ。何故に死者を悼むレクイエムがポップな曲調であることに違和感を感じないのか。ここが不思議です。それがやはり、「詩と曲とPVと歌が補完し合っている」ということの証左でもあるかと。ひとつずつ検証してみるとよくわかります。

「死」を扱ってはいますが、暗いように見えて暗すぎないんです。

またいつの日にか 出会えると信じられたら
これからの日々も 変わらずやり過ごせるね

歌詞の一節を引いてみましたが、ここからは歌い手*2がすでに「死」を反芻し、その意味を理解し、自分なりの解釈を見出していることがわかる。悲しみは終わり、そこに「先」を見据えた意味を見出しているんですよね。

(もっとも、「あなた」がいなくなった日々が「やり過ごす」ものでしかないというのは、極めて悲しいことだとは思うんですけど)

ポップです(笑) めっちゃポップ。とてもレクイエムとは思えないぐらいに。言わずもがなですが、この曲調こそが『サイハテ』の「ポップ・レクイエム」たる所以です。

短い曲なので当たり前といえば当たり前ですが、始まりから終わりまで一連の中で、曲調がさほど上下しない点はポイントかと思います。もっと端的に言えば変化がない。イントロとアウトロのメロディも同じものになっています。

J-POPでありがちなのは曲の中で登場人物に変化が訪れることですが、この曲を通してミクの感情には変化がない。そのことが曲調によく表れていると思います。先に解釈した「詩」を補完する役割ですね。

PV

華やかでポップな感じにも見えますが、その中には様々な意味が含まれている。比喩の解釈は人によると思うので、直接は書きませんが、キーとなるのはシマウマ、川、扉、川のシーンで出てくる浮遊する球、あたりでしょうか。ちなみにこの球は、途中でミクの手から浮かび上がっていくシーンもあります。

歌い手が初音ミクであることも重要だと思います。「歌ってみた」より、個人的には断然ミクのオリジナルが好きです。

というのも、彼女の声は良くも悪くも無機質だから。詩をよく聴き、PVの意味と照らし合わせればわかるかと思いますが、この曲の時点で「あなた」の死からは少し時間が経っています。死の直後に襲い来る怒涛のような悲しみが落ち着き、死を受け入れ始める頃。この頃の感情をよく表してくれるのが、あまり感情の入っていない彼女の声なんじゃないかと。


以上のように4つを解釈すると、それぞれが矛盾することなく絡み合うんです。というか、何度も言っていますが、それぞれが補完し合ってひとつの「意味」を作り上げている。だからこの曲は「ポップ・レクイエム」たりえるんじゃないでしょうか。もっと言えば、ポップ・レクイエムだからこそ、『サイハテ』は成り立つんだと思います。

もっとも、個人的な解釈なので「反論は認める」状態ですが。ずいぶん長くなってしまいました……。

*1:「1周忌」って言葉も用いられていますけど。

*2:ここでは初音ミク