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そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

ウェブで発言することは、生きることだ

インターネット ブログ

単純な話。ウェブ上では自ら何かをアウトプットしない限り、自分の存在を証明することができない。

現実では何もしなくても自分はそこに存在している。存在の実感が持てないとか、アイデンティティがわからないなどという細かな問題はあるが、何もなしていないからってその人の存在そのものが否定されるわけではない。

ウェブでは何もしなければ自分はそこにいない。ただ第三者の視点で眺めているだけ、読んでいるだけでは、あなたがそこに存在することは誰にもわかってもらえない。いや、ログが残るとかIPはわかるとかそういう話をしているわけじゃなくって。歴とした人格としての「あなた」がネット上に確かに存在するためには、あなたは何かをアウトプットしなくてはならない。それはブログであったり、Twitterであったり、SNSであったりする。

なぜウェブでアウトプットするのか。それはそこにいたいと感じたから、自分がそこにいる必要があると感じたからだ。ネット上にもコミュニティがある。誰かがいる。そこに入っていって何かを成したいのなら、積極的に働きかけていかなくてはならない。

もちろん、大半の人にとってそんなことはどうでもよくって、ネットは何かを調べるだけ、何か面白いことを探すだけの単方向性ツールに終わる。誰かが作ってくれたコンテンツを、ただ楽しむだけで終わる。ネット上でのコミュニケーションなんてものも、「別に現実の友達がいればよくない?」で終わる。このキャズムが崩れることは、おそらく相当に難しいことだ。

でも、ROM専だけじゃウェブは成り立たない。誰かがコンテンツを提供する側に回らなくてはならない。ウェブ上でアウトプットすることは、単に自らを楽しませるだけにとどまらない。それはまた、他の誰かを楽しませることにもつながってくる。現実と同じだ。そこに誰かがいるから、何かが生まれる。誰もいない虚無の空間からは、何も生まれてくることはない。

Twitterはリアルタイムに、常に自分をウェブに存在足らしめるツールだ。ポストの敷居はあまりに低く、他者と交わる敷居も恐ろしく低い。ブログで100人の定期読者を獲得するより、Twitterで100人のフォロワーを得ることの方がおそらく簡単だ。これまでになくインタラクティブでアクティブなこのサービスでは、そこに人が生きている実感を何よりも得られる。生きた人が会話し、タイムラインを作り、言葉をばずらせる。

ウェブで発言することは、そのまま生きることと言っていい。