iPhoneとかiPadとか無闇とバラ撒くような人は、悔い改めていただきたい

あまり誰かをdisるようなエントリーって書きたくないんだけど、なんかもう、この人だけはダメだ。

僕、インターネットとかITって、まだ必ずしも全ての人にとって優しい(易しい)ものだとは思っていないんですよ。危険はいっぱいあるし、使い道の8割ぐらいは多分娯楽にしかならないし、手放しに素晴らしい!と呼べるようなものではないんでないかと。そんでもって、誰にとっても必要なものってわけでもない。Twitterは確かに楽しいし便利だし、いろいろ社会的に特筆すべき現象も起こしたかもしれない。だけど、じゃあ日本国民みんながみんな使う必要があるの?と言ったら、そうではない。結局ネットってまだまだ嗜好品の域を出ないし、無闇と足を踏み入れた場合、炎上だとか個人情報云々だとか、リスクは少なくない。

10年ちょっとぐらい前って、まだインターネットを自宅に引くのにもハードルが高くて、ネットを使う人ってのは一部の物好きだけっていう感じだった気がする。で、それ故に、ネットにいる人たちはリスクを承知の上でネットに来ていた。もう「ネチケット」なんて言葉を聞かなくなって久しいけど、昔はそういう自浄作用のようなものも存在していたし、「ネットに入る」ことはどこか特殊な行為だったと思う。入りづらいからこそ、「わかっている」人しか入らなかった。そういう世界だったし、まだ地ならしが進んでいない社会へ、無差別に人々を呼び込むことは容易くなかった。ネットに入るハードルの高さは、ある種正しく働いていた。

一方で現代。いつの間にか、「ネットに入る」ことは普通になった。リスクを省みることなく、タダ同然の端末を街で手に入れて、満員電車の中で始終俯きながら、「ここではないどこか」へ入り浸ることが普通になった。ハードルは消え去り、インターネットは特殊な場ではなくなったが、それでもリスクはなお現前している。

それまでネットのネの字も知らないような人たちが、Yahoo!BBを引いてきて、iPhoneiPadをカバンに入れて、その日から人生が変わっていくだなんて僕には思えない。違法ダウンロードを巡って今なお議論が続いているように、ウェブはまだ法的にもモラル的にもグレーな部分が多い空間だ。そこから引き出してくる情報が、本当に正しくって、本当に何かの役に立つなんて保証もない。でも、そんなことを何も知らずに、あらゆる人が無防備にインターネットへ入ってこられるようになってしまった。何も知らなくてもネットにいられるということは、怖いことだと僕は思う。それ故に起きてしまったのだろうと思われる、様々な騒動も日々聞こえてくる。だけど、彼はそう考えなかったのかもしれない。とにかくみんなネットに入れ!うちの商品を使ってくれ!というのが、孫正義という人の思想だった。彼はあらゆる人をネットに招いてきたが、そこでみんなにどんな価値を提供できているんだろう。そこでのリスクをどれだけ抑えてくれたんだろう。彼がインターネットの使い方やリスクについて説いて回っているとか、そういう話はついぞ聞かない。彼はネットに人々を連れてきたまま、野ざらしにしてしまっているんじゃなかろうか。

iPhoneを持ち始めて以来、腕時計や目覚まし時計、紙の地図を使わなくなった」とか言われても、はぁそうですかとしか言いようがない。それが素晴らしいことなのかどうかは、僕にはよくわからない。「iPhoneiPadなら、端末を紛失したり盗まれた場合も遠隔操作でデータを消去できるなどセキュリティも万全」だそうだが、じゃあクラウドに保存しているデータは?だとか、いや盗んだらまずSIM抜くだろとか、ツッコみたいことは山ほどある。確かに、商売人としてはああいう姿勢が正しいのかもしれない。商売人が自分の商品の欠点をあげつらうはずもないのかもしれない。だけど彼の言論は、あまりに無責任に過ぎると僕は思う。過激な言葉と共にバラ撒き、何も知らない人々に使わせるには、iPhoneiPadはあまりにリスクが大きすぎる。スマートフォンなんて、ネット中毒者にしか必要ないんだよ、本当は。ネットに常時つながっている必要がある人なんて、まだそんなにはいないんだよ。みんなが持つのはガラケーだけで十分だったのに、どうしてこうなったんだろう。スマートフォンブームは、誰かを幸せにしているんだろうか。

iPhoneiPadをみんなが肌身離さず持ち歩く世の中なんて、街行く人々がみんな刀ぶら下げてる時代と同じぐらい危なっかしいものじゃないだろうかね。少なくとも、今はまだ。