そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

20年放置してきた問いに答えを出すということ

人生20年も放置してきた問いの答えは、あまりに尊く重いことだというガキの戯言です。

「おまえこのままダラダラリーマンになるんだ!」

誰が決めたのか、10月は就職活動本格スタートと言われる月で、大手就活サイトが軒並み「グランドオープン」するわ、合説を始めとする各種イベントが開かれるようになるわ、その辺りの動きが活発になる。もっとも、最近はインターンシップが7月辺りから始まってるし、外資系など一部企業はすでに夏から採用活動を始めているし、実際のところ何をもって就活の始まりとするのかはよくわからない。ただ言えるのは、大学3年生は遅くとも10月には気を引き締め始めるということ。

この最終段階まで自分の進路を決めてこなかった人間の中には、正直なところ「20年のモラトリアム」を十二分に満喫してきてしまった者も少なくない*1。「バクマン。」のシュージンが言うところの、「ダラダラリーマンになる」直前だ。何かしら夢を見たかもしれない。でも、その道には進まなかった。あるいは進めなかった。そしてここにきて、いよいよ自分の道を決めざるを得なくなった。僕もその一人ではある。

「あなたは何者なのか」

だから自己分析をし、業界研究をする。20年も放置してきた「自分は何をやりたいのか」という問いに答えを出すため、「あなたは何者なのか」と自分に問いかける。世界には、自分が興味を持つことができそうな、いかなる業界があるのかと探し出す。

自分でも自己分析やら業界研究には手をつけ始めてはいるが、なかなか簡単に結論を出せるものでは、はっきり言ってない。何かに一心に打ち込んだり、一つの道を進もうと心に決めたことはなかったが、それでもいろんなことに、少しではあれ興味は持ってきた*2。その一つひとつの興味の中には、簡単には捨てられないものにはある。一方で、捨てたくないが自分には合わないとわかっているものがある。ダラダラリーマンになりたくないという、最後のあがきもある。

答えの重み

答えを出すための努力は、いろいろと進めてきた。セミナーに参加したり、ウェブでテストを受けてみたり、ちょっと高度な研究に基づいた検査を受けてみたり。だがそれでも答えは出ない。簡単に出るものではない。

そんな中で思うのは、この問いに唯一無二の答えなんて出ないんじゃないか?ということ。

世の就活本やら何やらは、あたかも「あなたにぴったりの企業がある!」と言いたいような形で自己分析を進めていたりする。だが、20年もの長い間放置していた問いの答えが、今いきなり1、2カ月で出るわけもあるまいて。20年出すことができなかった答えは、そんなに軽いものだったのか。

唯一の答えなんてものはたぶんなくて、またこれが人生をすべて決めてしまうわけでもなくて、でもそれでも何かしらの答えを出さねばならなくて。そんな状況はあまりに矛盾しているし、単純明快なものでもない。だから、悩めるだけ悩む方がいいのだろうと最近は思っている。悩むのは苦しいから、早く答えを出して歩き出したいからさまざまな方法論が用意されているんだろうけど、それに飛びついて安易に答えを出して、その道に進んで、それでいいのか。問い直すチャンスはたぶん、今しかない。

20年放置してきた人に向き合うこと

ただ、それでも就活は、自分という人間に真剣に向き合ういい機会だ。僕はそれと並行してブログを書き、Twitterでつぶやき、リアルな人脈を活かして人にも会ってきた。その中で思い知らされるのは、自分がどれだけ頭の弱い人間かということ。たとえば、たったこれだけのことを言うのに、ここまで長い文章を書かねばならないとは我ながら今情けなく思う。絶え間ざるインプットとアウトプットの中で、自分の正体は少しずつ露わになってきている。

この半年は、20年放置してきた、何より「自分」という人間に向き合う期間だ。今までの人生で向き合ってこなかったことを悔いつつ、これからの人生で何を成すかを考えるために、静かに一人、考えてみようと思う。

*1:特に文系には多いと思う。

*2:そうでなければこのブログも書いていない。