そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

記録することが簡単になって、記録自体の価値は失墜した

TumblrだったりEvernoteだったりはてブだったり、ウェブサービスって記録するものだらけですよね。ユビキタス・キャプチャー、いつでもどこでもなんでも記録してしまおうと。なんかそういう世の中になってきているようで。多分に漏れず僕もはてブじゃかじゃか使ってますけど、時折ふと我に帰って思うのが、「何のために記録してるの?」ってこと。

アイディアってのが混交玉石、さまざまな思いつきの中からふと生まれるってのはわかります。だから取りあえず何でも思いついたら記録しといて、そこからネタを拾い上げると。そういう考え方も一つあるでしょう。でもはてブした記事からTwitterのログから何から、とにかくなんでもEvernoteに自動記録したりするのって、意味あるんですかね。そこから何か生まれることはあるんだろうか。

取りあえず記録しといても、結局見返さないことも多くて。というより、記録したが故に安心してしまい、何を記録したのか自体を忘れてしまったり。そうなるともう、後から取り出すこともできない。「あれ?そういえばあの時あんな記事を見たような…」と思い出せばいいんですが、想起されない記事は死蔵されることになります。例えば僕はボカロ曲を1000曲ほどブクマしてるわけですけど、当たり前ながら全部覚えてません。ボーマスとか、なにか機会がある度に掘り起こしはしてますけどね。

iPhoneができて、Evernoteみたいな便利なウェブサービスができて、記録することは恐ろしいほど簡単になりました。でもだからって、なんでもかんでも記録することは本当に素晴らしいとは限らない。仮になんでも記録することにしたところで、今度は死蔵がないように注意しなくてはならない。ユビキタス・キャプチャー自体、確かに素晴らしいものなんでしょうけど、半自動で何もかもEvernoteにブチこんで悦に入るのはなんか違うだろうと思うのです。記録されただけで二度と見返されないのなら、その記録って何の意味があるんだろうと、自戒も込めて。