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そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

インターネットなんて真面目に相手にすべきじゃない

例の「地震なんてないよ!」の件。自分はあの日、早朝の揺れに目が冴えてしまって、そのまま起きてNHKをだら見してたので、あの映像はリアルタイムで見ていたりする。とはいえまぁ、あの時間の表参道だし、地震中継は突然映像ふられるから上手くしゃべれてなかったり映像乱れてたりってのはよくあることだし、だから「地震なんてないよ!」については「朝の表参道さすがカオスやなぁw」ぐらいの感想しか抱かなかった。だからその日の昼間に動画が数百ブクマ付けられていたり、早くもニコ百記事が作られてたりしたのは心底びっくりした。そんな腹抱えるネタでもなければ失礼、非常識というほどのものでもないし、なのでいまだにちょっと騒動には乗りきれずにいる。

で、そこに今度は「謝罪会見」を開いたと来た。……一体何を謝るの?というのが率直な感想で。

【全文】「地震なんてないよ!」東森美和・説明会見 「地震気付かなかった」「タバコは友達のもの」 | ログミー[o_O]

でも、書き起こしを読んでみるとなんとなく、なんでこの会見に至ったのかはわかるような気がした。まぁ炎上商法だろって見方もあるんだろうけど、そうではなくて実際に「これは謝罪しないとマズイ」と思ったのだとしての話だ。

で、掲示板とかを見ていると、その女性を特定しろっていう動きがあり、こういったことは私も経験がないもので、怖くなってしまって、Twitterの画像や、Facebookはプライベートでやっているものなんですけども、画像を変更して、一時閉鎖をさせていただきました。

要はそういうことなんだと思う。今更ピックアップする話でもなく、もうここ何年も繰り返されてきたことだが、TwitterFacebookを通じた「拡散」というのは歯止めが効かない。御しきれない。だから怖い。ただ楽しく表参道で遊んでただけなのが、知らぬ間にネットでトリミングされて話題にされて、おまけに個人の特定までしてやろうなんて動きになってたらそらこわいわ。おまけに彼女は芸能活動をしていたわけで、それであれば「何かしらアクションを起こさなくては」という気持ちになるのも頷ける。

ところがだ。今挙げた記事のブコメを見てると、「いつまでこの話題引っ張るんだ」「もうどうでもいい」「そもそも最初からどうでもよかった」なんて声が溢れていて、このあたりの話題になった当時のブコメと比べてだいぶ温度差がある。こういうのを2ちゃんなんかだと「手のひら返し」って言うけど、そうじゃなくて最初から二種類の人々がいただけだ。1週間前にこの話題を面白がってたのはネットの中でも一部の人間だけで、最初から「どうでもいい」と思っていた人も多かった、ただそれだけの話だ。

ネットはなんというか、騒ぎの大きさを必要以上に大きく見せてしまう気がする。はてなホッテントリなんて所詮1000人程度の話題だし、「地震なんてないよ!」のニコ動の動画も10万再生とかそんなもんである。わざわざ相手にするほどのことなのかどうかは大いに疑問がある。逆に言えば「ネットで話題!」と言われているネタに対し、「いやそうでもねーよ」と冷静にツッコミを入れることはそれほど難しくもない。だからあまり真面目に相手にするべきじゃないんだろう、これは。所詮は刹那的な盛り上がりでしかない。いい意味でも悪い意味でも。

でも、実際自分がこういう立場になったらどんな気分なんだろう。「梅雨明けてないじゃないッスか!」の人とか、「(栃木のいいところは?)ないんだなそれが」の彼とか、自分の思いもよらぬところで顔出しで人気になってしまうというのは、どんな気分なんだろう。自分はそういうの絶対嫌なので本名も顔写真もネットに流れないよう細心の注意を払ってはいるのだが、すでに自分が想像しなかった形で流れていて気分はよろしくない。そういえば「忘れられる権利」を認める判例が最近出たと思ったが、そういう仕組がそろそろ必要な気がする。

なお、冒頭の記事のブコメで一番しっくり来たのは以下のもの。

id:yas-mal ここのコメント見てると、叩く側と叩かれる側の非対称性のようなものを感じる。ちょっと違うけど「いじめられた方はいつまでも覚えている」的な。

実態は非対称ではない。彼女が相手にすべき人はあのブコメにはいなかったというだけだ。ネットvs個人という図式では、対称な関係は成り立ち得ない。でも、個人の側からすると「ネット」という大規模な敵に見えてしまうんだよな。そこが問題だ。