そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

引き金を引け。言葉は武器だ。

ちょっと前に、艦娘寺山修司の詩を組み合わせた絵がTwitterで流行ってるのを見かけた。

司令はんと!番外 【寺山修司と艦娘詩集】 by ざさ on pixiv

正直言うと、自分はあんまり寺山修司が好きではない。というか食わず嫌いに近いのかもしれない。有名な『書を捨てよ町へ出よう』だけ読んだことがあるのだが、偏見に満ちた表現になってしまって申し訳ないが「昭和の男」感とでも言うのだろうか。どうも一昔前の少し暑苦しいほどの男性感に乗りきれず、それ以来毛嫌いしていた節がある。

しかしこれが、なかなかどうして、「詩」という断片になると一気に味わいやすくなるもんなんだなと思う。1冊のエッセイとして味わうと濃厚すぎて読めなかったのだが、ギュッと抽象化されて濃縮された「詩」の文体であれば読めた。もともと自分は詩もそれほど読む方ではない。どちらかといえば人の生きざまや、一連のドラマが多少の時間幅をもって展開される「物語」が好きだ。ここではない別の世界の可能性を見て、自分の中に取り入れることが好きだ。

外山滋比古は「ことわざは第一次的現実(物理世界)の思考が結晶したもの」と述べているが、ならば詩というのは第二次的現実(脳内に作られる観念上の世界)の思考が結晶化したものだろう。抽象度が高い分、解釈の余地は「物語」よりも多く残され、故に先のpixivの詩集のようにまったく別のモチーフにもマッチさせることができる。すでにある程度解釈が固定化されてしまっている「物語」と比べて、ひょっとしたら詩はより自由に世界を括り上げるのではなかろうか。それはおそらくは砂糖菓子の弾丸に近しいものなのだけど、しかし抽象度の高さ故に、現実に対して抗する武器にも成り得る。

心にひとひらの詩を持つということ。

たかが言葉で作った世界を、言葉でこわすことがなぜできないのか。引金を引け! 言葉は武器だ!