the world was not enough

物語偏愛者の詭弁と戯言

テッド・チャン『息吹』 - 世界が人間の認識を変えていくということ

息吹

息吹

テッド・チャンを決定的に好きになったのは『あなたの人生の物語』だった。言語には、その言語を話す者の認識体系が織り込まれる、という話自体はよくある。サピア=ウォーフの仮説を挙げるのが一番馴染み深いだろうか。この物語ではその逆に、ある言語を解することで、その言語の背景に存在する認識体系を人が獲得していく過程を描いている。人類は逐次的に時間を認識するので、言語も逐次的に編まれる体系を取る。しかし決定論的に未来から逆算した時間認識を持つ異星人、ヘプタポッドは、時制のない、すべての「物語」を一語に収めることができる言語を持つ。そしてその言語を解する中で、主人公もまた、決定論的な認識能力を持つに至り、世界を見る目が完全に変化してしまう。

SF 的なギミックによって、人類が現在とは異なる価値観や世界観を持つに至る物語が好きだ、ということを、このときに初めて気付かされた。アーサー・C・クラーク幼年期の終わり』のような、完全に異なる存在へ変わっていくことだけが人類の進化ではない。今、私とまったく同じ身体組成で、まったく同じ能力を持つ生命体であっても、その「認識」がまったく異なるということはありえるし、むしろそれこそが数千年にわたる人類の「進化」だったんじゃないだろうか。私が今、ここで目にしている地平を超えて、別の地平が存在していることを知らしめ、気付かせてくれる。世界をかくも多様に認識、解釈できることを理解させてくれる。それが自分にとってのテッド・チャンの魅力だ。

好きな作家が寡作というのは切ないもので、『息吹』の刊行は本当に三日三晩、泣いて喜んだと言っていいほどには嬉しかった。そして期待を裏切らないほどに面白かった。昨年は翻訳 SF の分野だと劉慈欣『三体 I』が話題をかっさらってしまったが、9種類もの濃密な物語を詰め込んだこの『息吹』もまた、是非にとお勧めしたい。

以下、話の核心にはなるべく触れずに、全9篇について簡単に書いていく。全体的には今書いたような、決定論や自由意志を巡るチャンらしい作品が多かったように思う。

商人と錬金術師の門

唯一既読だった1篇。大森望選出による時間 SF オムニバス『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』に収録されている。こちらの1冊は、実に様々な形式のタイムトラベル SF が収録されており、一口に「時間SF」と言ってもこれほどに間口が広いのかと圧倒させられる、印象深い短編集だった。

本作におけるタイムトラベルは未来旅行であり、また『あなたの人生の物語』と似たような、決定論的な背景を持つ話でもある。バグダッド生まれの商人フワード・イブン・アッバスが出会った、20年後の未来への行き来ができる「歳月の門」。未来がわかったとして、そしてそれが決して変えることのできない未来だということがわかったとして、人は如何にして生きるのか。この物語はアラビアンナイトの形式を取っており、彼がカリフに対して、「門」をくぐった様々な人々の様子を語って聞かせる。決定論的に未来がわかったとしても、人の生き方は一様とは限らない。テッド・チャンが人間の認識に関して、実に多様な考え方を持っていることを垣間見ることのできる1篇だ。

息吹

金属製の肉体を持ち、肺からの「呼気」によって生命活動を維持している異形の生物たちをめぐる話が展開される表題作。彼らは空気を吐くことはできるが吸うことはできず(また必要ともせず)、肺の空気量が減ると、給気所で新しい肺と交換を行う。この星の地下深くには巨大な肺があり、給気所ではそこから肺に空気を満たしている。しかしある日、同時多発的な「時計の異常」という、一見彼らの「呼気」とは関係がなさそうな事象を発端として、彼らの生命と世界の真実が明らかとなっていく。

主人公が人間でもなければ、その生息する地も摩訶不思議な構造を持った異星であり、これほど「ハード」な SF は存外チャンにしては珍しいのではないだろうか。それでいてその世界観は極めて緻密に設計されており、ひとりの科学者が自身の身体の解剖という危険を冒してまで、科学的にその在り方を検証していく様は、さながら現実の科学ミステリーのような読み応えがあった。冒頭に書いた、「今、ここにいる人類がまったく異なる認識を持つに至る SF」とは対照的な、すべてが架空で現実とはまったく異なる形でありながらに、破綻のない精密な世界観というものを味わうことができる。

ちなみに英題は「Exhalation」である。正直なところ英語のカッコいいスタイリッシュな響きに対して、邦題はずいぶんと柔らかい印象を持つ単語になってしまったな、という思いがあったのだが、これは大森先生の意図的な仕掛けであることが後書きで明かされており、また物語を実際に読むことで、深く納得できるところでもあった。

題名の exhalation は、「呼気」「発散」など、“空気が吐き出されること、またはその空気”を意味するが、ここではやや文学的に、“息吹”の訳語をあてさせていただいた。 (p.424)

予期される未来 / オムファロス

『予期される未来』はわずか4ページの超短編。自動車のリモコンキーのような見た目をしていて、ボタンを押す 1秒前 に LED が光る「予言機」というガジェットのヒットに関するコラムのような文章である。こう書いただけでもうわかる人にはわかると思うし、これ以上語るのは野暮になりそうなのでやめておく。

順番を入れ替えて、これと合わせて語りたいのが、『予期される未来』から5篇あとに配置されている『オムファロス』だ。オムファロスとは「へそ」を巡る創造説についての仮説である。アダムとイブにへそはあったのか。あったとすれば、彼らは最初の人類ではなく、母親とへその緒を通じて繋がっていたことになってしまう。しかしへそが無かったとすれば、彼らは神によって完全な姿で作られた存在ではないことになってしまう。これを解決する提案として、世界はあらかじめ意図的に過去の痕跡が残った形で創生されたのではないか、というのがオムファロスという仮説らしい。

本作においては、この仮説における「へそのないアダム」の存在が実証されている。交差年代法などの科学的手法により過去をさかのぼっても、8912年前より以前の過去を示す痕跡は、世界中のどこにも存在しないのだ。したがってその時点によって、この世界が神によって突如として創造されたことが確定しており、それが人々の信仰の源になっている。そんな世界観に、科学の進歩がひとつの揺らぎを起こすことになる。

物語は人々の信仰と、自由意志を絡めて展開されるが、私はこの短編の結末について、『予期される未来』のそれと比較せずにはいられなかった。どこか皮肉めいてもいるし、人類は如何にして生きることができるのか、改めて突きつけられているようにも思う。この2篇、合わせて楽しむのがおすすめだ。

ところで神の存在が科学的に実証された世界観というのは、『地獄とは神の不在なり』を思い出すモチーフでもある。この手の世界観は、僕の好物だ。

ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル

4ページの超短編もあったかと思えば、120ページ近い本作のような中編も収録されている。VRChat や Second Life を思わせる仮想世界で飼育するための、 AI を詰んだ人工生命に関する、数年単位に及ぶ長い物語。人工生命の社会への需要や権利問題、倫理観への問題提起といったお決まりのテーマもある一方で、表題通り、あるソフトウェアを企業が長い期間管理、保証していくことが可能なのかという、さながら Microsoft のそれを思わせるようなテーマを、 AI と絡めることで生命倫理の問題へと置き換えていくストーリーテリングが見事。とはいえ、すでにこの手の問題は、 aibo などを通じて現実にも起こっているのだろうと、ハッとさせられもした。

この1冊の中では、ある意味もっとも「安心して」読める話かもしれない。エンターテインメント小説としてもよくできており、このまま1本のアメリカ映画にすることもできそうだった。

デイシー式全自動ナニー

日本ではあまり馴染みのない言葉で、私も知らなかったが、ナニーとは母親代わりに子育てをする女性のことらしい。メリー・ポピンズと言われると、ああなるほど、と思う。

ということで全自動ナニー、つまるところあらゆる子育てに関する作業を行うことのできる全自動機械が20世紀初頭に開発された世界における、その開発者と、全自動ナニーによって育てられた息子をめぐる話である。機械と人間の関わりについてのテーマのように見えて、その実親子の話として収束していく。短めの物語ではあるが、この読後感はとても鮮烈だ。また20世紀初頭における架空機械の開発と、その商業的な宣伝や世間からの論評といった、軽くスチームパンクを思わせる設定の開示もよい。

偽りのない事実、偽りのない気持ち

柴田勝家『ニルヤの島』に登場する生体受像(ビオヴィス)のように、個人の生活すべてを記録する Remen というサービスが登場する。 Remen はユーザーの会話を監視し、過去の出来事への言及があると、その出来事の映像を視界の隅に自動的に再生してくれる。いわば記憶の代替であり、人々は「偽りのない事実」を手にすることになる。Remen は比較的新しい技術であり、若い世代には浸透しているが、一定以上の世代の中には懐疑的な人々もいる。具体的に本作の中では、 Remen を使っている娘と、 Remen の利便性は理解しているものの、自身が利用することはためらっている父親という2人が描かれる。

本作が特徴的なのは、もう1つの物語として、 Remen とはまったく関係のない未開の部族の話が交互に展開される点だ。彼らは書き言葉という文化を持っていないが、ある日外からヨーロッパ人の伝道師が来訪し、1人の少年が彼から文字を習い始める。文字による「記録」という文化を知った少年は、のちにその重要性を知っていくことになり、ここでももうひとつの「事実」と「気持ち」についての物語が展開される。形は違えど、「記録」という文化の発達は、人類に幾度もパラダイムシフトを強いてきた。その中で変わらないものがあったのか、あるとすればそれはなんなのか。そういったものが、2つの異なる時代、土地の物語から浮かび上がってくる。

大いなる沈黙

悪い意味ではなく「悪ふざけ」をした SF というものがある。これはその手の1篇で、7ページというページ数も相まって、 INTERMISSION のような味わいがあった。

不安は自由のめまい

いわゆる量子力学多世界解釈もの。起動した瞬間に世界線の分岐が発生し、発生した別の世界線と文字や映像で通信が行える「プリズム」というガジェットが流通した世界での話だ。プリズムは「今ここではないもうひとつの自分」の可能性を人々に抱かせ、ある者は「今の自分」を後悔して別の自分に嫉妬したりもする。また逆に、複数のプリズムを起動した人が悪事を働いてしまった際、別のどの世界線の自分も同種の悪事を働いていなかったことから、「あれはたまたまであり、自分はあんなことをするような人間ではないんだ」と安心したりもする。多世界の存在が、人々のメンタルに著しく影響する世の中においては、プリズム関係専門のセラピーすらも存在している。

今の自分が唯一の可能性ではない、というのは普通希望を表すように思えるが、実は失望や、「なぜ別の自分は幸福ならば、今の自分は不幸なのか」という葛藤さえも引き起こす。あらゆる可能性が存在するならば、人の行動や運命というのはどのように決まっていくのだろうか。これもまた、テッド・チャンらしい未来と現在と、そして人間の意思に関する物語だ。

彼らにとってそうすることが楽なのは、いままでの人生で、他人にやさしくする小さな決断をたくさんしてきているからです。わたしにとってむずかしいのは、いままでの人生で、小さな利己的な決断をたくさんしてきているからです。ということは、他人にやさしくするのがむずかしい理由は、このわたし。 (p.393)


昨年12月の刊行からだいぶ日が経っているし、もう SF ファンは粗方読んだことと思うが、まだであれば外出のできない今の世界で読むには格好の1冊である。今これを書いていて、1つ1つの物語を思い出しただけでニヤニヤしてしまう。