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そのねこがうたうとき

物語偏愛者の詭弁と戯言

それでも僕らは、ネットの力を信じている

インターネット

もう言及するには遅いけれど、先の都知事選の折に「インターネッ党」なんてのが出来て一時的に話題を呼んだ。はてブではだいたいが微妙な反応だったし、そもそもの家入氏のウケもあまり良いと言えるものではなかった。僕も彼のウェブでの演説なんかを何度か見てはいたんだけど、なんだか「自分なんかが」とか「どうしたらいいでしょう」みたいな弱気なことばっかり言っていて、あまりに期待を外れていた。それでも彼らはおそらく本気で、ネットで政治を変えられると信じている。

だってほら、ネットは世界を変えてきたじゃないか。なんて嘯く人は少なくない。例えばジャスミン革命があった。例えばハドソン川への旅客機不時着のとき、その様子はTwitterによって全世界に伝播した。これまでにないインターネットによる人々のつながりが、既存の社会へ影響力を与えている好例なんだと。

僕はそうは思っていなくて、確かにインターネットの影響は大きいのだけれど、でも誰かがネットによって世界を意図的に変えた例は多くない。ジャスミン革命だってハドソン川の事故だって、その端緒となった人が結果を予測した上で行動を起こしたわけではない。インターネット上でソーシャルな盛り上がりが暴発したことにより、結果として偶然に世界が捻じ曲げられただけの話だ。その意味では、誰もまだネットを御しきれてなどいないのだと思う。

もうこの国でインターネットに触れていない人の方が少ない状況になっているけど、でもいまだにほんの10人がブクマしただけで「ホッテントリ」として扱われ、たった数千人がRTしただけで「話題」とされるような世界だ。インターネットの中は、現実の社会と比べて圧倒的にちっぽけで、社会と上手くリンクしきれているわけではない。もちろん、10年前に比べれば状況は違う。でも、一国の首都の首長の座を短期間で奪えるほどに、劇的なものにはなっていない。

インターネットにおける技術の進歩は、社会の進歩を置き去りにしているように思える。歩きスマホソシャゲ課金やSNS疲れが問題になるようなインターネットなんて、ちっとも未来の世界には思えない。インターネットはそれなりに使いやすいものになった。それを使うための端末もバラまかれた。そんな状況に見合うよう、現実の社会をアップデートすることこそ、今必要なことなんだと思う。特に自分たちの世代(80年代末以降の生まれ)は、子供の頃からインターネットがある生活をしている。そういう世代こそが、社会をこれから書き換えていける気がしている。